6月8日 朝
お笑い向上委員会の借金に関するトピックスがおもしろかった。借金は絆とまでのたまうひとや、金を貸すことで人間力が高まるというひとまでいて、凡人の斜め上を行くその発想はまさにクズそのものだった。されど、そういったクズが嫌いかというと、友達には持ちたくないが、眺めているぶんにはユニークで、世界の広がりを実感できるから興味深い観察対象者ではある。この興味深さは何に共鳴しているかというと、借金というネーミングに反響している。借金の別の言い回しを、たとえば、不快度レベル5を頂点として、徐々に引き下げてみると、借金、負債、債務、後払い、借入、この借入あたりから印象が変わってくる。さらに借款、クレジット、ローンと続けていく。興味はリアルへと近づいていく。金の使われる用途は三つしかない。すなわち、投資、消費、浪費の三つであり、興味深い観察対象者の大半は浪費を目的とした貸借に終始しており、残り何割かは消費によるものだ。以前「あり金は全部使え 貯めるバカほど貧しくなる」を出版した堀江氏だが、その理論を紐解くと、カネの用途の傾向は投資であることが深く窺われる。氏の説明ではもともと貯金というものは戦費をまかなうために政府が考案した制度で、郵便貯金の由来も大本はそこにある。これは歴史を鑑みれば正しいし、氏は本のなかで、あり金だけでなく、借金も強く推奨している。借金による時間の簡略化、簡素化という意味合いで。翻って、昨日。堀江氏の対照としてよく名前を聞くひろゆき氏がツイッターに「借金をすると頭が悪くなる」と投稿した。この借金の用途の傾向は「借金する→頭が悪くなる→収入増えない→借金増える→より頭が悪くなる」と示しているようにおもに浪費を意図したものだろう。借金と聞くと、昔は即座にビンボーをイメージした。オトナになると、イメージが変わる。それは投資、消費、浪費の種別をおぼえるからかもしれないが、もっと単純に借金は信用なのだ、と思い知るからだ。辰吉氏が自身の著作で触れていたが、岡山を出るとき親父にこういわれた。「借金ができれば一人前じゃ」その意味を立ち食いうどん店で働いているとき、しみじみ痛感したという。できるのはせいぜい前借りぐらいだ、と。矢沢氏も自身の著作で触れていた。「昔はうれしかった。広島から出てきたどこの馬の骨かわからないちんぴらに何億も貸してくれる」例のオーストラリアの事件に触れている章だ。借金のとらえ方にはいろいろあるが、コロナ禍のいま、併せて考えなければならないのはキャッシュフローのとらえ方でもあり、とどのつまり、カネはないよりあったほうがいいぐらいの強気の態度でいればいいとおもう。犬のマーキングを資産と見做すなら人間のやっていることもさほど変わらない。