6月18日 朝

コンパクトシティの高層化が目指す究極の姿とはテクノロジーの発展と限りなく融和する社会であり、大好きな映画で例えるなら、それはフィフスエレメントということになる。リュックベッソンによる近未来を描いた傑作だ。好きなハイブランドをたったひとつ挙げろ、といわれれば自分の場合、ジャンポールゴルチエなのだが、この映画はゴルチエが衣装担当している。それだけでどれだけかっこいいかともう震えるほど、かっこいい。ちなみに当ブログの写真でかけているサングラスはゴルチエのもの。フィフスエレメント、ゴルチエに共通する色はゴールド。平たい色でいえば、イエローやオレンジの世界。ゴージャスなイエローとオレンジ。ブレードランナーやベルサーチの色はブルー。もちろん勝手な見解なのだけれど、ゴルチエのゴールドに興奮する人間にとって、フィフスエレメントのみどころは多い。まず、主演のミラジョボビッチがゴールドだ。映画のキーワードである最高を意味するGREENで顕わすならば、彼女はどこまでもGREENだった。もうひとりの主役、ブルースウイルスの暮らしぶりが、コンパクトシティの高層化が目指す究極の暮らしといえる。1997年に制作された今作であるが、24年、経った今でもこの暮らしに追いついているかといえば、まるで追いついていない。火星旅行はまだできないし、空飛ぶタクシーも利用できない。ただ、近づいてはいる。民間人が月旅行したり、ドローンが空を駆けたりするようになった。黒人の大統領も実際に誕生した。敵役ゾーグを演じるのはゲイリーオールドマンだ。映画シドアンドナンシーで一躍有名になった彼だが、出演者のほとんどが髪を染めているなか、黒髪を通しているのはさすがで、奇抜なモヒカンヘアのような髪型が未来を示唆している。未来を示唆するディテールで最も気になるシーンがある。それはカプセルホテルのような寝室で睡眠に落ちる場面。睡眠導入剤を吹きかけられ、一瞬で眠ってしまう。この場面をみて、うらやましいと思ったひとは多いとおもう。2400メートル級の超高層マンション生活が実現するとして、変化はあらゆる箇所において、波打つように動き始める。そのなかにあって、睡眠欲求だけは変えようがない。前澤氏が宇宙旅行で楽しみなのは睡眠だとワイドナショーでいっていたが、それは無重力なので首や腰に圧がかからないというのが主な理由で、近未来型生活が2040年ごろの超高齢社会で社会の要請にしたがってはじまるとして、睡眠の取り方は関心の集まるトピックスになるとおもう。明日に続く。
posted by せつな at 06:35Comment(0)日記

6月17日 朝

コンパクトシティの高層ビル化は足腰の弱ったお年寄りや障碍を持つひとの生活を激変させる。居住区に関してはエレベーター付近の住居を優先的に利用できるようにし、移動距離を減らす。設備のオートメーション化により、極限まで人材を減らし、住民の要望にはロボットとAIのディープラーニングが応える。お年寄りや障碍を持つひとが他者に依存することをなくすのが目的なので、機械に触ることもない。すべて機械が勝手に解決してくれる。日々に必要な買い出しもこれまでの常識が変わる。マーケットは無人が基本だが、実際にそこで品物を買う機会は激減する。超高層タワー生活を支える技術は主にドローンが担当する。各ベランダに設置されたドローンポートに配達され、当然、人件費がいらないので配達料という概念も消滅する。ドローンも人間が操作するわけではなく、こち亀の中川がいうように扱いとしては未来型の伝書鳩に近い。ディープラーニングを使って、配達により適した方法を自らが考え出す。近接する十本のビルにはそれぞれ空域が設けられ、ドローン同士が接触しないよう配慮されてもいる。現在、世界一高いビルはドバイにあるブルジュハリファ(828メートル)であるが、おなじドバイに地上1008メートルのビルがもうじき建つ。さらに2025年には地上2400メートルというハルカスの8倍に及ぶビルも誕生する。人間は標高1500メートルを超えると、高山病にかかるといわれている。こういった超超高層ビルが日本に完成したとき、居住区は地上1000メートルぐらいを目安に設定すればいい。世界には標高5000メートル級の山間部に暮らす民族もいるし、いずれ日本人も進化を遂げるかもしれない。2040年には65才以上の人口が全体の4割を超えるともいわれる日本。コンパクトシティの高層化が未来を救う。
posted by せつな at 06:42Comment(0)日記

6月16日 朝

コンパクトシティの高層ビル化が日本を救う。こういう発想を抱くようになったのは夢を見たからだ。もともと戸建てにこだわりがなかったということもあるし、限界集落という造語が心底、嫌いだということもある。最近は過疎化がさらに進み消滅集落と呼ぶらしいが、これはいい兆候だ。ぽつんと一軒家みたいな番組があるけれど、こういった家は爆撃してつぶしてしまえばいいとおもう。夢のなかではマンションのなかにすべてがある。屋外のイメージがマンション内といえばよいだろうか。ともかくすべての用足しがマンション内で可能というような夢。この夢は六本木ヒルズのような複合型ビルの乱立によって、カネさえ持っていたら実現できるようになったが、まだまだ一部の人間による特権であり、これからの日本を鑑みたとき、すべての国民を集合住宅により、管理する時代がやってくるかもしれない。その試金石がコンパクトシティであり、効率性と持続可能な社会を支える基幹システムとして期待される。コンパクトシティの高層化はひとえにテクノロジーが高齢化を救うその一点において、すぐれている。支える、ではなく、救う。救われるのは高齢者でもあるが、若年層や壮年層の生産世代を老害から救う目的を主眼において、構築する。昨今、買い物難民という言葉をよく聞く。人口減少により、相次ぐ商店の閉店。手押し車に買い物袋を入れ、ひたすら長い道のりを牛歩のような速度で歩道を歩くお年寄りはかわいそうだし、他の歩行者にとってはじゃまでもある。昨日は業務スーパーの入り口で、足で踏むタイプの消毒スプレーのレバーの根元を踏んだり、カバーのかけられた消毒液の周辺をまさぐっていたり、その場所を独占する高齢男性がいた。見かねたほかの客が声をかけると「足で踏んでもでえへんねん」ととぼけている。声をかけた客はレバーの先端を踏み、さっさと消毒をすませ、とっとと店内に消えたが、とぼけるとぼけるは同源なのだと改めて思い知る瞬間だった。こういった老害が運転する車や、老害が跋扈する世の中から身を守るすべがコンパクトシティの高層化であり、老人の歩くスピードは変えられないし、かといって歩く歩道をそこらじゅうに張り巡らせるのは困難だ。車に乗るなど言語道断であるし、電動カートも特に狭く混み合う店内では買い物客の進行を妨害する。ならば、障碍者はどうするのだといわれると、まさについこのあいだ炎上した伊是名氏のブログ問題の解決にもつながるのがこの都市政策で、それがコンパクトシティの高層化だ。明日に続く。
posted by せつな at 07:20Comment(0)日記