5月31日 朝

世界禁煙デー。この日にタバコをやめて、もう何年、経つだろうか。いまだにタバコを吸う夢を頻繁に見るが、現実世界でほしいとおもったことは一度もない。やめて本当によかった。メリットを挙げれば、立て続けに浮かぶし、デメリットはただのひとつもない。タバコをやめたことは人生において重要な分岐点であった気もする。タバコを吸っていたときはライター、タバコ、鍵、ケータイ、財布、ハンカチ、ほかに手帳も持っていたような記憶がある。いまはスマホとハンカチだけ。スマートロックのおかげで鍵もなくなった。タバコが切れたからといって大慌てで販売機を見つけていたあの頃が懐かしい、というよりはうらめしい。嗜好品と勘違いしていた。おとなの必需品と思いこんでいた。リラックスできると信じていた。すべて嘘だった。そして、こういった主観的な発想に盲点はひそんでいた。タバコの煙はひとさまに迷惑をかけるというこの一点においての想像力の欠如が喫煙者の特徴だ。タバコをやめた理由の第一位は「他人に迷惑をかけるから」でなければならない。健康理由とか節約とか、そんな個人的な理由はどうでもいい。電子タバコなら許されるといった昨今の風潮も気に入らない。タバコを吸いたければハワイのように自宅の部屋を閉め切ったときのみ喫煙可に限定すべきだ。コロナのこのような時期だから余計に感じるのかもしれないが、マスクを外し、歩きたばこをする低俗な連中をみると、このような感情の昂ぶりのときにひとは犯罪者になるのだろうなとこちらも低俗な気持ちになる。受動喫煙のない健全なキャッシュレス社会。日本の目指す道が設定されてずいぶん経つけれど、まだ道なかばだ。誰が邪魔しているかというと、政策を提言する当の政治家が邪魔している。普段、権謀術数で毒づく彼らが、ことタバコに関しては与野党結託して、規制に反発する。標ぼうすべき社会のあるべき姿は分煙ではない。受動喫煙のない社会だ。吸える場所は自宅のみ。喫煙中の換気はだめ。屋外での喫煙は極刑。喫煙室設置も違法。タバコのない社会の実現を。さっさとやれ。
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5月30日 朝

本当ならば、いまごろ、ではじまるブルーハーツの歌があったとおもう。ふ、と頭に浮かんだ。本当ならば明日で緊急事態宣言は終わるはずだった。もう窮屈というか、生ビールを飲みたくてしかたない。昨日は鳥貴族でバイトしている夢をみた。おれはバイトをしたいんじゃない。鳥貴族でトリキのから揚げと金麦を頼みたいだけだ。夢のなかで店長の加藤浩次氏にわめいている自分がいた。我ながらアホな夢を見たものだとおもうが、アホな夢を見て、それを叶えることが人生のだいご味であると、かたくなに信じるアホなのでアホはアホなりにアホなのだろう。それで、そのアホは昨日、茨木市にオープンしたセカンドストリートに行ってきた。イオン太田店のすぐ近く、いないち沿いにできたのだが、どうしたことかそのいないちが大渋滞だった。土曜日の昼過ぎ。緊急事態措置ですよー。みなさーん、不要不急の外出はだめですよー。と自分を棚に上げながら叫びたいほど混んでいた。中国道のリニューアル工事も関係しているのかもしれないが、それにしてもみなさんどこを目指しているのだろうかと訝しげな心境のまま、イオンに着くと、ここもすし詰め状態。赤のれんの二割引き券が送られてきたので、これを利用して夏用のカーペットを購入し、早々に退却。いざ、セカストへ。ここも大混雑。なんとか、車は停められたが、店内は買い物客と買い取り客で過密を極めている。このような状態を予想して、この日は5層フィルターのスポーツマスクを装着していた。このマスクは以前、買い購めた黒マスクの色違いで、黒マスクは酔っぱらってどこかへなくしてしまったため、最近、改めて買いなおしたものだ。いろいろカラーが増えていたので、ヒョウ柄にした。これが鳥のくちばしぐらいにとがっていて、装着すると、まるで鷹か鷲のような装いとなる。これを着けたピンクのタンクトップに短パンというちんぴらが店内に入ると、おねえさんが体温を測ってくれた。無事、客として迎え入れられた。普段からセカストハード利用者にとって、新店はわくわくが止まらなかった。パソコンのキーボードを買って帰った。感染していませんように。
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5月29日 朝

すっかり日の明けるのが早くなって4時半には東の空がうっすらと色づいている。夜7時に眠り、朝4時に起きる生活がここ三日ほど続いているのだけれど、できればこういったサイクルで一生を終えたい。コロナ禍の要請も無論、無関係ではないが、世の中の傾向として、夜がどんどん早まっている気がする。一時期は終電を伸ばす方向だったJRや私鉄各線も大幅な見直しとなり、終電繰り上げが経営の基本路線となったし、昨日は政府によるダイナミックプライシングの導入検討が発表された。これは端的にいうと、利用時間帯で運賃を変動させるという取り組みで、併せて駅のバリアフリー化の費用もこれに上乗せする。真夜中の意味も昔といまでは世代ではなく社会的に変わってきている気がする。昼食時、サラメシをたまたま観ていたら真夜中特集だった。真夜中のサラメシ。昼間、働いているひとがいるように当然、夜中に働いているひとがいる。働いていればおなかが空く。この理屈は理解できるひとは理解できるが、自分のように16時間、胃の中を空っぽにするのが当たり前の人間には夜中に何か食べるというのは遅い晩酌ぐらいしかおもいつかない。夜中にごはんを食べるという感覚がそもそもない。それで、興味深く番組を観ていたのだが、ショッピングチャンネルのコールセンターのサラメシは午前4時半ぐらいで、飛行機洗浄の職員は確か2時か、3時だった。共に手の空いた時間帯とか暇な時間帯とかという感じで、日ごろから特に定刻というものはなさそうな、あっても非常にアバウトな、そんなサラメシだった。コールセンターの忙しさのピークは深夜0時。この時間帯に購入や商品に関する質問疑問の電話が集中する。だいたいにおいて、こういったテレビのショッピングチャンネルを利用する層はジジババしかイメージできない。ジジババがこんな時間まで起きているのか。そこで、はっ、とした。もしかして起きているのではなく、今しがた起きたのではないか。午前2時、3時に起きるのはジジババにとって平常であることは知り合いのジジババの情報網によって認識してはいたが、これはかつてのジジババの起床時刻であって、いまはひょっとしてもっと早まっているのではないか。これを裏付けるというか、思い当たるふしはある。日曜日の9時からサンテレビでやっていた仕事人シリーズが7時に早まったのだ。これは何より自分にとってありがたい変更ではあったが、これも聞くところによると、世の中のニーズに合わせ、時間を変えたという。7時からはじまると、見終わるころは8時。9時からはじまると、見終わるのは10時。コロナ禍の時短要請は時限的なものではなく、もしかすると、これまでの資本主義の根幹を大きく揺るがすかもしれない。変革の予兆はあった。働き方改革も背中を押した。深夜営業の見直しは各サービス産業にとって無視できない課題ともなった。真夜中の定義が変わりつつある。4時に起きる生活がもっと早まるかもしれない。
posted by せつな at 05:35Comment(0)日記