1月31日 午前中

周りが淋しくみえるとき、それは自分が寂しいからだよ。ドアーズだったとおもう。たしかこんな歌詞の歌があった。友人、知人、問わず、いままで周りにいたひとがいなくなると、寂しい。それが、そんなに親しくなくても当たり前にいた、当たり前にいるとおもっていたひとがいなくなるとこんなに寂しいものなのだなと久しぶりに抱く感情。オリラジのふたりに続いて、西野氏が吉本興業を退社する。こういうニュースを聴くのも寂しい。相次ぐ芸能人の引退。芸能事務所からの離脱。スポーツ選手の現役引退。ぜんぜん思い入れはないが、ある人気配信者は世の中からいなくなった。思い入れはないのに寂しい。ある日、突然、いなくなることもあるのだなと感傷的な気持ちからvlogをはじめた。文章も映像もすべて作品なのだ。生きてきた証。たどってきた道筋。筒美京平氏が残した名曲「センチメンタルジャーニー」を聴こう。
つぼみのままで夢を見ていた、影絵のように美しい、物語だけ見てたいわ、伊代はまだ16だから。
いっぽう、柴又の名店、川甚が今日、231年の歴史に幕を下ろす。コロナによる観光客の激減、冠婚葬祭、忘年会の自粛。老舗料亭にあっても立ちはだかった壁は大きすぎた。織田哲郎氏の名曲「碧いうさぎ」を聴こう。
碧いうさぎ、祈り続ける、どこかにいるあなたのために。
うさぎは寂しいと繁殖しちゃうんだから。とりあえず今日は日帰り旅に出ようとおもう。寂しくなったら知らない場所にでかけるにかぎる。未知の発見が既知の追懐を遠く追いやるのだ。新しいことをはじめることも有効だ。夜は酒を呑もう。酔いつぶれて寝てしまおう。眠って、起きれば、新しい日だ。とあるユーチューバーの言葉を思い出した。「人生、そんなに長いとおもってないんですよ。長生きはするとおもいますよ。ただ、人生はそんなに長くないと」おぼえているかぎり、こんな内容のこと。昨日、新聞の折り込み広告に松本伊代氏が載っていた。ショウガジュースの宣伝だったが、年齢をみて驚いた。56歳だった。伊代はまだ56だから。最後に自分の歌の歌詞を引用しておわる。「戦いだけが残された」
過ぎゆく人生、還らぬひとの生、去りゆく運命、いつか下る命運。
posted by せつな at 08:14Comment(0)日記

1月30日 午前中

今年の節分は2月2日。明治30年以来、124年ぶりのことだという。閏年で調整することは知っていたが、節分もその役割を果たすことをはじめて知った。ということは今年の春は2月3日にはじまることになる。春までにコロナは落ち着くだろうか。緊急事態宣言が2月7日までなので、それは無理な話なのだけれど、挙げ句、今度は延長不可避の論調まで出始める始末。 幸いなのは時短要請のみで、休業要請にまで至っていないことだが、それでも仕事帰りの一杯ができない多くの勤め人は辛いのではないだろうか。ならば、そう、外で呑めなければ家で呑めというわけで、家呑みの利点を数え上げると、あまりない。特に自分で支度をしなければならない場合。酒の準備にはじまり、肴のチョイスを迫られ、肴の制作に続き、場の整理もしなければならず、べろんべろんに酔っぱらったあとは後片付けから洗い物まで、肴が余ればやれ翌朝の一品だなどと、多くの用向きをいやがうえにも押し付けられる。外呑みは楽だ。メニューのセレクトさえ、おまかせしますわ、と丸投げできることもある。呑み終わってすることといえば気持ちよく家路に着くだけ。待ち構えるのはベッドか布団か、畳でさえ、その輝きはダイヤモンドにも等しい。部屋の明かりまるでダイヤモンドと歌ったハマショーの歌そのものなのだ。帰りなさい。帰ってぐっすり眠りなさい。起きたら地獄か天国か。昔とは違い、酔っぱらって12時間寝た翌日はたいてい天国だ。かすかな二日酔いでさえ、クールなオトナの媚薬にすら感じられる。その外呑みができない。正確には時短で間に合わない。だいたい、普通の会社員だったら定時で終わったところで、向かう足ですでに酒類の提供は終わっているかもしれない。後生やさかいに一杯だけ、一杯だけのましておくんなはれ。まるで落語の世界だ。家族持ちならまだしも独り者で仕事終わりに料理をして晩酌をして、なんて、そんな余裕のある人間はいくばかりのものだろう。ウーバーイーツが盛んなわけだ。
posted by せつな at 06:44Comment(0)日記

1月29日 午前中

29日ということで、ふいに肉について考えてしまった。肉の日は服の日でもあって、ブックオフではこの日、服を安く買えたりするのだけれど、それはまたいつか別の月に。肉を最も食べていたのはいつだろうか。多くのひとは10代とか20代とか、若かりしころを追想するかもしれない。比較的、おぼえているのは21、2歳のある店で働いていたころ、仕事終わりによく焼肉に行っていた。そこのマスターが連れていってくれたのだ。朝5時過ぎからはじまる焼肉。寝る前の焼肉。あのころは呑み方も食べ方も率直にいって狂っていた。当然、焼肉なのでいただくお肉は牛肉がメインとなるが、当時も今も肉を喰らうというイメージの先端には牛肉がぶら下がっており、肉を喰らうといって焼き鳥屋を覘く想像力がわかない。焼き鳥は焼き鳥を喰らうなのだ。翻って、いま、おもうこと。肉に関するおもいではどちらかというとベジタリアンに近い食生活が逆説的に肉への想い出になっている。10代の中期、自意識が芽生えだすころ、リバーフェニックスという俳優がベジタリアンであることを知った。映画スタンドバイミーの主役どころ、4人のうち、太った少年を演じたひとといえばわかるひとはわかるだろう。そう、彼は太っていた。それが美しい青年にいつしか変わっていた。彼が来日したとき、印象に残った食べ物は?の質問になすを煮たものがおいしかったと答えた。彼は完全菜食主義者。いまでいうヴィーガンだった。要はこのライフスタイルをそっくりそのままマネしたのだった。なぜか。これはエックスジャパンのギタリストHIDEに代弁してもらおう。HIDEは子どものころ、太っていた。やがて、成長し、地元の繁華街ドブ板通りで遊ぶようになった。ここでの生活で自然に痩せていったと回顧するHIDEだが、このとき、ある重大な事実に気づいた。自宅の食事は量が多く、揚げ物や脂ものといった太るメニューが主体だったことに気づいた。HIDEがドブ板で知った真実と同じく、リバーフェニックスがまんまる少年のベジタリアンを目指すきっかけとなった。こうした食生活が比較的、変わったなとおもえるのは意外と最近のことだ。基本的には主食は玄米に大麦とえん麦を混ぜたものであるし、副菜は「まごたちはやさしい」が主体である。栄養学を勉強しだしたころから認識が変わった。ただ、漫然と肉としてどちらかというと毛嫌いしていた自分。カルニチン、イミダゾールペプチド、レバーペプチド、ビタミンA、ナイアシン、そして、もっとも重要なものという意味のプロテイオスを語源に持つプロテイン。すなわち、たんぱく質の重要性を知ったのちは積極的に取り入れることにしている。よく食卓に上るのは鳥の胸肉だが、牛ステーキをちょっとだけ食卓に添えたり、豚肉を酢で煮たものを玉ねぎと一緒に食べたりもする。最近のとっておきというか、ぜひこれは食卓に取り入れていきたいなとおもっているものは偶然の産物なのだが、鶏レバーのハンバーグ。レバーにくっついているハツは酒のあてにいいし、普通に焼肉のメニューになるので重宝するのだけれど、肝心の肝の部分。肝心の心の部分を除くと、肝は意外にやっつけ感のある一品に仕上がってしまう。毎日の納豆とおなじ存在。アボカドと似た食品。ごまとわかめとのりとこえびとかの摂取しておこう感が漂う素材。これを一変させたのがレバーハンバーグだった。ユーチューブで検索すると、けっこうなひとが試作している。ミキサーにかけてレバーペーストにする方法は知っていたけれど、これをフォワグラ風に仕立てたりするひともいた。ミキサーを使うと、どうしても残りをしゃかしゃかしてしまってそれでスープをこしらえたりしそうなので、めんどうだし、匂いけしが難しそうなので使いたくない。ならば、もっとも手っ取り早く、無駄なく、レバーの血をひとしぶきも残さず使える方法としては包丁でとんとんと叩くしかない。やってみた。柔らかいのでほかのミンチやなめろうに比べ、存外、時間がかからなくて簡単だった。試作を三度ほどして、ある程度、確証を得たレシピとしてはニンニクパウダー、しょうがパウダー、ごこうふん、ケイジャンスパイス、コショウ、塩、カレーパウダーの調味料。具材は豆腐を入れてもいいが、ここはシンプルにネギか玉ねぎにとどめると焼き加減が楽。これでもじゃっかんまだ血なまぐさいので今度はナツメグを加えてみようとおもう。カレーパウダーを増やしてもいい。味付けは塩だけでもいいが、仕上げに中農ソースが合う。ケチャップをかければ同時にリコピンも摂れる。肉の日に肉をおもう。「この肉やわらかいな」「それ、レバーですよ」という会話をおもいだした。
posted by せつな at 07:48Comment(0)日記