10月27日 早朝
大阪都構想に朝日と毎日が横やりを入れている。じじいばばあもじゃまばかりしている。なので、二重行政の解消について、デメリットを考えてみた。メリットははかりしれないので、反骨心に基づき、逆の目線で、この横やりの意図はなんなのか解明してみたいと単純におもったわけ。結果。行政、財政において、デメリットは見つからなかった。まったくゼロ。収支悪化を懸念する数字も平松市政当時の大阪市お得意試算なので参考価値はなく無視。後付けの数字ではなく、今後、未来を見据えた変化にかぎってみた場合、もっといえば、可能性を鑑みたうえで、俯瞰してみたとき、デメリットはない。少なくとも行政、財政に照らし合わせたインフラの拡充、住民サービス、組織のスリム化等に目を向けた結果、デメリットは見つからなかった。まったく見つからなかった。誰か理詰めで教えてほしいとおもったぐらい、デメリットが見つからなかった。デメリットというから相対的観点でしか推し量れないともおもい、欠点、欠陥と言い直してみる。ディベートで大切なのは相手の論拠をできうるかぎり想像すること。行政、財政に関することではないが、目を凝らしてみると、ひとつ見つかった。港区が中央区ではなく、淀川区に編入されること。これはけっこう大きいのではないかと。港区に居をかまえた人間にとって港区のネームバリューはいかんともしがたい重みを持っているのではないか。ただ、これも全体をみれば、西成区が天王寺区ではなく、中央区を名乗ることによってそうさいされる。されど、自分が港区に自宅を買って、たとえば港区波除とか、港区夕凪とか。ちょっとした言葉のステータス感にひたっていたとして、いきなりこれが淀川区になると、自宅を売りたくなってしまうのもまた人情、とおもえなくもない。結句、これから考えうる、想定すべく事案としては、センスの問題は意外に目に見えて浮かび上がってきはしないだろうかという懸念はある。横浜ベイブリッジに対し、南港に架かる橋が、かもめ大橋なのだという歴然とした事実。なぜ、北区、中央区にしたのに西区、南区。あるいは東区にできなかったのか。しなかったのか。なにゆえ、淀川区、天王寺区というどちらかといえば、負のイメージの強い地名と、かもめ大橋的なセンスで最終選考にかけられてしまったのか。たぶんに松井市長の都市計画センスは疑われる。あべのますく的にまわりのブレーンにも注意を払わなければならない。住民投票まで一週間を切った。この世でものをいうのはセンスだ。これがあれば、才能などどうでもなる。センスも才能の一環というなかれ。センスはあくまで磨かれるもの。大阪都を磨きあげて、かもめ大橋をなくしていこう。未来はぼくらの手のなか。