10月24日 早朝

大市民「冬の美味しはこれだ編、傑作集」という漫画が隣のマガジンラックにあって、ぱっと目についたのだけれど、冬の美味しといえば、鍋かおでんで、おでんも鍋料理かもしれないが、昨日、たまたま、大根を煮付けて、それがいつのまにかおでんに変わっていて、そういえばこれが今季、初おでんだったのだと感慨深いなか、今朝は寒くて、もしかすると、木枯らし1号が今日にも吹くという予想もあるし、夜は湯豆腐かなあ。この大市民の主人公、山形鐘一郎氏は自らをアナログ人間と呼ぶ。ケータイ、パソコンは一生持たないと決めており、時計は針で動くもの、電話は昭和な黒電話、カードは持たず、現金払いがモットー。デジタルは機械の世界。アナログが人間の世界。アナログで生きるとは人間的に生きることと常日頃から豪語する。それでアナログについて思索してみた。デジタルについて思考してみた。結論。老害について考察することとなった。まず、アナログの定義だが、こんなものは時代によって変わる。以前も書いたとおもう。針の時計の登場は当時、画期的だったはずで、電話の誕生はそれこそ時代が変わるものだった。翻って、今現在。2020年の今を問う。スマホなど多くの人間にとってアナログの権化でしかない。早く指紋認証が当たり前の社会になってほしいと願うばかりだ。老害がどのような主張を掲げようが勝手かもしれない。だが、それで世間に迷惑をかけるのであれば、やはり、その主張は見直しが必要だとおもう。なぜ、こんなふうに、こんな朝っぱらから、こんなにさわやかな季節なのに、こんなに気持ちよく眠ったあとなのに、考えてしまうか。ひとえにそれはくら寿司のせいであって、もちろんくら寿司さんにはなんの落ち度もなく、いや、一点はあるかもしれない。毎日、おいしくいただいたあとには必ず支払いのときがやってくる。楽天ポイント「ピ」gotoポイント「ピ」で早くお店の外に出たいのにレジには長蛇の列ができている。たとえば、1687円の会計に1万円を出し、貝殻玉を祖先に持つ百円とか十円とか五円とか一円とかいう白亜紀の遺産を財布とかいうジュラ紀の遺物から取り出し、会計皿に置くババア。とか。店員さんが私の後ろをちらちらと気にしているので振り返るとジジイがひとり席案内を待って突っ立っている。「お客様、機械の操作をお願いいたします」と店員が声をかける。ジジイはひとこと「ふー」機械の位置まで戻る。機械の存在は認識していたらしい。画面を見つめ、いまいましそうに立ち尽くすジジイがまたひとこと「どれを押すんや!」マスクなしで声を荒げる。ジジイ、おれ会計中なの。じゃまをしないでジジイ。とっととお会計を済ませたいの。ショッピングに出かけたいの。店員さん、レジにひとりしかいないの。とか。こういう場面に遭遇するということは、つまるところ、レジシステムに問題があるのだとおもう。複数台のセルフレジ導入。現金払い対応不可の実現。ジジイの回転寿司店利用禁止。デジタル庁さん、仕事ですよ。
posted by せつな at 07:10Comment(0)日記