10月9日 早朝
料理できる?と男性から訊かれるのがストレスだとかなんとかというトピックスがあった。この手の論争はたびたび起きるが、その都度、火種になるのが、料理ができる、の基準。個人的には料理ができる、と断言できるハードルというか、最低限、クリアできなければならない物差しとして、鹿を解体できるかどうか、がある。まず、ハンティングで鹿をしとめる。何十キロもある鹿をかつぎ、調理場へ向かう。ここから各箇所へ仕分けし、心臓は刺身で、モモ肉は低温でローストする。味付けは煮詰めた赤ワインソースに尽きるが、これも自ら吟味するところからはじめる。これが料理ができる、の最低ライン。魚の調理に関すれば、手本はきまぐれクックレベルだろうか。ジンベエザメを調理し、最高の状態で食卓に提供して、はじめて料理ができると胸を張れる水準。野菜に関しては、まず、育てましょう。収穫しましょう。山へ入って、食せるキノコ、山菜、葉っぱを見分けましょう。野菜の皮も工夫して料理に活かしましょう。もちろん玉ねぎの皮も活かしましょう。それで「料理ができる」の基準は何ですか?街のひとに聞きました、というライブドアニュースを紐解いてみたら、以下のようなものだった。①余り物とか冷蔵庫の中の物だけで作っちゃうひと。②キャベツの千切りが細かくできるひと。③お出汁をきっちり取れるひと。④チャチャっと作っておいしい。⑤レシピを見て味を想像できるひと。➅献立を組み立てられるひと。⑦おいしい料理が作れること。記述者の印象では「魚がさばけるなどの具体的な技術ではなく、今までどれだけ料理に関わってきたかを量るものばかりで、シェフのような豪華なメニューが作れることより日常から料理に積極的に取り組んでいるのかどうか、料理を楽しめているかどうかが基準」という意見が際立ったという。料理ができるの基準を見直さなければならないようだ。反省した。誰が家庭で鹿をさばくだろう。ただいまあ。台所で鹿を解体する妻をみて離婚を決意しました、という旦那が現れるかもしれない。漫画「キッチンの達人」と、もこみちキッチンは比較の対象となりそうだ。目指すべきはキッチンの達人であり、オリーブオイルまみれの炒め物も、ガスレンジを汚すだけの塩の振り方も家庭にはそぐわない。一般家庭において、最大の関心事は「無駄を出さないこと」そう考えると、料理ができる、の基準は無駄を出さないひとということになる。合格点だとおもう。