10月19日 早朝
ブコウスキーの短編集を読んでいると、世の中は悲しみと憎悪に満ちていて、その根幹には寂しさがあると気づかせてくれる。なんてなことを書くと、こいつはアホかとおもわれそう、とおもうのは原文で読んでいないからだ。「町でいちばんの美女」という青野聡訳の文庫本を持っているが、ブックオフで単行本を見つけたので買ってみた。表題の短編はよくおぼえていて、それに続く「15センチ」とか「テキサスの売春宿」などの掌編も懐かしかった。特に15センチなどはこんなに下品な小説が世の中にあるのか、と当時とおなじ思いを抱いた。最後のほうは飛び飛びで読んでいるような記憶。じっくり読めば読むほど、目をそむけたくなる光景ばかりが広がる感じだった。救いようがなく、下劣で最低。どういうことかというと、どうということはない。その通り、でしかない。といって、ジェイムズエルロイやアンドリューバクスのようなロマンノワールでもなく、訳者が最後に書いているように「原文に忠実に訳したとはいえない。私が忠実だったのは日本語で書かれた小説として品質を高めること。そうしないと気分が悪くなる。~汚らしい言葉にムカムカして彼にむかってどなりちらしたこともある」と訳されたこの日本語の作品においてもその汚らしさは読む者に全開のエネルギーを投げかける。短編集は二部に分かれていて、後編は「ありきたりの狂気の物語」かわらず低俗だが、言葉の切れ味はこちらのほうが優れている気がする。このふたつの短編集を読み終えると、その閉ざされた両手はパルプへと救いの手を伸ばすことになる。パルプの主人公ニックビレーンも最下層の人種だが「町でいちばんの美女」に出てくる数々の登場人物に比べればまだマシにみえる。ちなみに短編集のオリジナルのタイトルは「勃起、射精、露出、日常の狂気にまつわるもろもろの物語」であり、やがてこれが日本版同様に二部に分かれて、西海岸で売られることになる。物語は単純明快。勃起、射精、露出、日常の狂気しか出てこない。おそるべき作品群を残した作家のひとりだとおもう。