8月31日 朝

8月31日。少年だったころ、この日が嫌いだった。中年になったいまもこの日があまり好きではない。陽射しはまだまだ強く、最高気温は35度を超えている。それでも夏の終わりを予感させる日。残暑という不快な言葉が飛び交い、次の季節へと暦は着実に歩を進める。朝の5時半はまだ暗く、夜の7時はもう暗い。おそらく、終戦後はこんなかんじで時を歩んだはずで、あの終戦の苦い味を経験しただれもがこの季節の経過を肌で思い知ったはずだ。8月15日。戦争がおわった。夏もやがて終わり、秋へ、冬へと。「戦争めし」という漫画がある。作者は魚乃目三太氏。この作品の誕生はある一枚の絵がきっかけだった。「元日本兵の老人が書いた一枚の絵に釘付けになりこの戦争めしができたのです」作者が語る絵は漫画の巻末に作者自身が模写している。実物はこのマンガを買って、自分で紐解いてもらうしかないが、たった一枚の絵が心を胸を魂を鷲掴みにする。ジャングルのなか、白骨化していく仲間を背景に丸裸で逃げ回る男。男の手に武器はなく、ぎょろりとした目とがりがりにやせ細った体で左手に飯盒だけを持っている。先日の朝日新聞の社会面に元日本兵の戦争体験が載っていた。「よくへ〇やカ〇〇を捕まえて、食料にする描写などが戦争中のできごととして登場するが、そんなものが手に入るのは上の上で、片っ端から捕まえるからジャングルのなかは空っぽ」みたいな話だった。生きることは食べること。食べることが生きること。こうして戦争めしの第一話ができあがったという。戦争末期の悲惨な状況。戦争めしに描かれている時代はそのちょっとまえぐらいがほとんどで、悲哀と不愍さから涙なくしては読み進めないのだけれど、どの料理もとてもおいしそうに映る。最終話は「戦艦大和のラムネ」と題され、なぜ、ラムネが大和のなかで作られていたか詳細に説明されている。夏の終わりに一本のラムネ。ラムネを飲みながら遠い昔に思いを馳せて。戦後、75年を迎えたいまこそ、総括が必要な気がする。明日はインパール作戦について。
posted by せつな at 10:42Comment(0)日記

8月30日 朝

頭のいい女というものをいまだ見たことはないが、石垣のりこ氏というバカはバカを超越したバカなのだろう。全国に22万人いる難病患者の顔がみえない。過去にもあった。首相の出身大学を虚仮にし、そこに通う生徒の顔を怒りに変えたバカな元外務大臣。か弱きもの汝の名は女なりとシェイクスピアはいったが、足りない。想像力の欠如、視野狭窄、汝の友達は女なり。頭のいい女にいずれ出会うだろうか。願うしかない。このひとことで想像力は経験に変わる。首相の功績はサプリに似ている点が多々ある。歴代最長内閣というその点だけでもありえないほどの功績なのだという事実。今朝の朝日新聞がまたひどかった。ひどくて、いつもはじっくり記事を読み進めるのだけれど、飛ばし読みしてしまった。冷静にならなければならない。冷静になると、次から次へと変わってばかりのあの時代を遠くおもいだす。表向きは短命政権と叩き、裏では賛美するマスゴミの格調高き戯言。ひとりの人間に長く権力を持たせるよりはとっとと変わるほうがまだいいとする崇高な雑言。外交ではだれにも相手にされず、国内では反日思想に歯止めがかからず、汚職と談合を日本的と揶揄する風潮。あの時代。つくづくおもう。メディアは嫌日であり、憂国にあらず。いくら問題点が指摘されてもそれは憂国の視点から解決を目指さなければならない。多くの課題点を浮き彫りにしてくれたのも安倍内閣だった。この国の仕組み。この国のあり方。周辺国の実態。周辺国にへつらう勢力。スパイ、間諜、隠密、密偵、まわしもの。彼らの存在を巧みに暴き出した。リベラル勢力を進歩派とか革新とか改革派とか称賛する頓馬にいっておくが、確信犯政党民主党がやったことは「2位じゃだめなんですか?」だ。株価をどん底に下げ、外国勢に気前よく日本札をばらまきまくった連中が改革派ならそんなもんは願い下げだ。ダイヤモンドザイだったと記憶しているが、競馬になぞらえ、よい例えを用いていた。政府の重みで太りまくった騎手をレースに参加させるため、馬をばきばきに鍛えたのが当時の日本企業だった。くしくも11年前の今日、政権交代がなされた。暗黒の時代はもうごめんだ。医学の発展を願い、第三次安倍内閣を待つしかない。稲田氏が育つまで。三原じゅんこ首相というのも悪くない。あ、女性に期待している自分がいた。
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8月29日 朝

それでも朝はやってくる。衝撃の一夜が明けて、今朝は憂鬱な気分で幕を開けた。歴代最長政権、安倍内閣が唐突におわった。少し整理が必要なので、これはいずれ触れることにする。いつか、その日がくるまで。矢沢の永ちゃんはそう歌った。思い出の品ってできるときはあっけないな。しょうばくの桜井はいった。まさに不世出の大宰相であった。朝日の朝刊を読んだが、安部政権が憎くて憎くてしかたないといった論調のしめくくりといったところで、いかに安部政権がすぐれていたかを端的に示す証左であろう。憲法改正は次の政権に託された。いずれ詳しく触れる。頭のなかが混乱している。こういった日は焼き肉でビールに限る。8月29日は焼き肉の日。そういえば長らく食べ放題に行ってないな、とコロナ禍があらゆる場面に顔を覗かせる昨今、オーダーバイキングはまだしもビュッフェスタイルはまだ当分、無理だろう。感覚的にも。焼き肉といえば、最近、とみに思い出すのは水商売をなりわいにしていたころ、店終わりで行く朝のモーニング焼き肉だ。酔っぱらった体でよくあれだけ食べられたものだといまとなっては感心するばかりだ。朝焼き肉。夜中焼き肉。呑んで、肉を喰らう。肉を喰らい、酒をがぶがぶ呑む。しめにビビンバとか冷麺も食べていた気がする。無謀で無茶で無敵だった。もうそんなに肉もいらないし、しめもいらない。毎週のように七輪焼き肉にでかけるが、肉を食べるというよりはホルモンを肴に生ビールを呑むといった趣が強い。家族の団らんにも焼き肉はあった。昔は焼き肉に行くといえば、日曜の夜で、でかけるまえのテンションが半端ではないというか、胃もたれなんかもちろん気にする必要もなく、ただもうおなかいっぱい食べて、寝ると、朝がくるというようなかんじだった。あのころの総理大臣といえば、政権を担っては替わってばかりで、スタイルも顔も雰囲気もとにかくかっこわるかった。それが左派の流行を助長したようにおもう。時代は変わり、安倍政権が生まれた。スタイルも顔も雰囲気も外国の首脳に見劣りしない本格保守政権の誕生に歓喜し、日はまた昇ると信じた。健康がいかに重要か、思い知らされる。ほどほどに焼き肉をいただく。今日は肉をいただく。
posted by せつな at 06:20Comment(0)日記