3月20日 午前中

羽賀研二氏の新潮の告白記事を読んだ。結論からいうと昨日のブログとは違った印象を抱いた。もしかしたら逆転無罪の可能性もあるのではないか、と。しかし、これも人たらしのなせるわざかもしれない。起訴内容の真相もさることながら、もっと興味をおぼえたのは刑務所での暮らしぶりのほうで、服役して6年の歳月を芸能人ということで甘くみていた。壮絶かつリアル。以前、ミュージシャンのヒロト氏がラジオで語っていたが「犯罪しなくてよかったな」というひとことに尽きる。刑務所という閉鎖空間においてこそ人間関係が重要で、告白記事を読んでいていろいろ参考になった。起きてから寝るまでひたすら着座の懲罰など考えただけで憂鬱になる。自由とは案外、身近なところにあるのかもしれない。昨日、19日は千葉県野田市の虐待事件の判決もあった。一審は懲役16年。虐待事件に関する判決では異例の長さだという。今朝の新聞記事に実際に裁判員を務めた30代男性のコメントが載っていた。「虐待?」憤りと悲しみにあふれる素直な感想で、勇一朗被告は自分のために涙を流しているのではないか、とこちらも辛らつな意見だった。今まで知らなかった事実も今朝の記事で知った。泣いてしまった。今回の事件でもっとも注目すべき点は本人がまわりのオトナに救済を求め、何度も訴えかけたにもかかわらず、その声の重みが理解されなかったことだ。児相の職員や市教育委員会にいたっては自称父親の剣幕に負けて、責任を放り投げてしまった。もっといえば売り飛ばしてしまった。びびってしまった。怖かった。当たらず障らず。穏便に。消極的に。事なかれ事なかれ。くわばらくわばら。他人の子どもの明日より自らの今日が大切だったのだろうが「先生、どうにかできませんか」このひとことを一生、抱えて暮らせ。被告に対しては、先の羽賀氏の告白にあるように刑務所ではいじめぬかれるだろうことが容易に想像できる。怯えてそのときを待て。あとは兵庫県知事はやはりそうなのかやはりなそうだろうなとおもっていたら、やっぱりアホだったというニュースに接してほっとしている。
posted by せつな at 10:34Comment(0)日記