植松聖被告に下された判決は極刑だった。植松氏の考え方、思想に対しては多くのひとにいくつかの、あるいは膨大な所感があり、先般、テレビで紹介された植松氏からの手紙など、踏まえたうえで、以下の記事を紹介します。「もうひとつのガス室への道」と題された3月14日付けの朝日新聞の付録記事です。
ベルリンフィルの本拠地ティアガルテン通り。第二次世界大戦中、この通りの4番地に秘密作戦の司令部がおかれた。通りの名からT4作戦と呼ばれる。ドイツがポーランドに侵攻した1939年9月1日。社会を身体的、精神的に優秀な者だけで構成すべきだとする優生思想に基づき、精神障害を抱えたひとたちに対する計画のはじまりだった。作戦は翌年1月から実行される。犠牲者の数は30万人。これがユダヤ人絶滅を目指すラインハルト計画につながる。
記事には医師が診断書を偽造するために最後の診察を行った脱衣場の写真があり、生々しい。右側にガス室へとつながるドアがあったが、現在はコンクリートで封鎖されているという。
薄れゆく意識のなか、この小さな部屋で、どれほどの恐怖と絶望を感じたのか。窓枠に鉄格子が見える。「シャワーを浴びよう」医師からそういわれ、みな歓喜しながら部屋に入った。だが、シャワーヘッドから水が出てくることはない。代わりに医師は一酸化炭素の元栓を開け――」
優生学という思想を知ったのはおそらく20歳ぐらいのころで、愛と幻想のファシズムを読んだときだった。ナチスの為政に興味を抱いた時期。優生思想はつまり白人は上で黒人、アジア人は下とみる判別法。主に欧米で発展する。これが個々に流行するのは今も同じで、当時のナチスに当てはめると、ゲルマン民族が上位、ユダヤ人が下位となる。これは日本にもあった。ちょっとまえに各新聞記事をにぎわせたので覚えているひとも多いとおもう。旧優生保護法で1996年までに約2万5千人の障がい者が不妊手術を強いられたとする訴訟に関する判決があり、憲法13条に違反するという判断を示した事案。誤解を承知で発するが、相模原の事件が一石を投じたことは間違いない。「今後、働ける見込みのない者」「経済的価値なし」と烙印を押されたものが次々にガス室に送られた時代。そして、現代社会。現代日本。あいつが上で、あいつは下。重度障碍者と向き合う他人がどれほどいるだろうか、とか、歯車、とか、知能指数、とか。論えばキリがないのだけど、単純に心が痛む、とかでいいのかもしらん。相模原の事件では被害者の多くが痛いよう痛いようと泣いていたという。植松氏は以前からどのような判決でも控訴しないと公言しているので、これで終わりかもしれない。裁判の最後、突然、手を挙げ「ひとつだけ」といって発言の機会を求めたが、認められなかったという。聞いてみたかった。