3月10日 午前
明日で東日本大震災から9年。あれから変わったことといえば、やはり防災意識だとおもう。大規模災害のまえにひとはなすすべもなく流されてしまうという現実と原発安全神話の崩壊および日本国に対する信頼のゆらぎ。すべてひっくるめてひとびとの防災意識が変化した。2009年の新型インフルエンザのときと今回のコロナでははっきりとその意識の表れがでたように感じる。神戸のときと多発テロのとき。それから小泉改革とリーマンショック。時代は激流に呑まれ業火にさらされ混乱し続けた。にもかかわらず、なぜか自分とは無関係な気配が充満していたというか、当事者意識が希薄だった気がする。それがよくも悪くも日本人気質なのだろうが、触らぬ神にたたりなし、とか、君子危うきに近寄らず、とか、当たらぬ蜂には刺されぬ、とかの用語が当たり前に蔓延する社会構造が戦後からほとんど変わらず続いていた。未曽有の大規模災害は戦争に似ている。人災と自然災害の差こそあれど、自分に差し迫った危機感は主体性を持たせる。今回のコロナショックが2009年のときと違うと明確に肌でかんじるのはマスクの圧倒的不足度合いだ。たしかにダイソーなどでは品切れもあり、連日、マスク不足を報じるメディアは似た構造だが、それでも今回に比べると、入手は容易だった。2009年のときと似ているなとおもうのは先行き感だろうか。新型インフルエンザ、リーマンショック、そして、とどめが東日本大震災。株価が7000円。為替が1ドル70円台にまで落ち込み、あのときの反動がその後のアベノミクスに結びつくのだが、当時は民主党の失政もあり、労働市場が暗黒の空気に包まれていた。今朝のトップニュースは株価が19000円を割ったことだった。消費増税、度重なる中止、延期、さらに延長と今現在の天候同様、先行きはどんよりと曇っている。あのときの突破口は自民の政権復権と日銀黒田総裁の誕生だった。果たして、コロナショックがもたらした経済危機がどのように展開するのか。当事者意識をどこまで持てるか、戦後の復興をみているような錯覚に陥る。