3月19日 午前中

知り合いからマスクを200枚もらった。倉庫に眠っていたそうで、これで当面、安心だ。よかったよかった。よかったといえば、東大が新型コロナウイルスを感染阻止する薬剤を発表した。急性膵炎の治療薬として使用されているもので「ナファモスタット」という日本で開発された薬だ。日本が世界を救うときがきた。これで何度目だろうか。インスタントラーメンの開発により世界何十億人を飢餓から救い、ウォッシュレットが世界中のおしりを洗った。折れないえんぴつ、静かな車、カラオケだって世界に笑顔をもたらした。とにかくナファモスタットという特効薬が見つかり、一縷の希望は世界中を駆け巡ることだろう。しかもかなり身近な薬剤ということで、専門家はその発見に驚きの声を上げているほどだ。これで東京オリンピック開催の可能性がぐんと広がったことになる。まずはやれやれといったところか。その他のニュースとしては芸能関連がにぎやかで、不倫男の記者会見に二世タレントの表紙デビューと話題に事欠かない。なかでも注目すべきは羽賀研二氏に懲役1年6か月の実刑判決が言い渡された事案で、羽賀氏は控訴する構えであるという。以前、那覇のカフェでアルバイトする様子が写真週刊誌に掲載されたが、しょせんポーズなのだろうなあとおもっていたらやっぱり偽装工作の一環だったような印象しか今では残らない。罪名は強制執行妨害目的財産損壊というあまり聞きなれない罪で、検察の激怒具合が伝わってくるような頑強で不穏な響きだ。もうこらだみだ。また、収容の日々がはじまるのだ。現在58歳ということだから三審後は刑務所で還暦を迎えるのかもしれない。60歳から本当の人生がはじまるのだろうか。はたまた似たような生き方を繰り返すのか。そういえば竹原ピストル氏の歌にこんなのがある。「カネのためならなんでもやるさ、ただし、カネでなんでも買えるなら」カネに魅せられて、カネを信じて、カネに騙されて、カネを利用して、カネに泣かされて、カネが人生をぶちこわす。なんか悲しいな。
posted by せつな at 10:05Comment(0)日記

3月18日 午前中

自転車の反射板を買ったのだけれど、ポケットに入れていたらなくなった。どこに行ったのだろう。最近、落とし物や失くしものが多くて、つい先日も「あ、なにか落ちましたよ」と指摘を受け、見るとポケットティッシュを落としていた。なんでもかんでもポケットに入れるからか、また昔のようにバッグを持とうかとも考えたが、そのバッグを失くしたこともあるので、ウエストポーチにしようかなともおもったらそれも失くしたことを思い出した。かつての大酒呑み、町田康氏のようにもうそろそろお酒をやめたほうがいいのかもしれない。そんなことをいいつつも四月が楽しみでしかたない。なぜ、楽しみか。飲食店が原則禁煙となるからだ。特に鳥貴族がうれしい。今まで大きな顔でタバコをくゆらせていた酒飲みが減るかとおもうと小躍りしたくなるくらいうれしい。さようなら喫煙者。さて、天気予報に目を向けると、今日から気温が跳ね上がる。そろそろジャケット類をしまってもよさそうだが、今年もシーズンオフに大量買いしたので仕舞うべき場所がどこにもない。困ったものだが、そのぶんかなりの数の冬物を捨てたので本当はスペースがあるはずなのだが、要はめんどうなだけなのだろう。先日、自転車のカギがどこかに行ってしまったので、買いなおしたカギが昨日、届いたのだけど、それを箱から出すのも面倒で、しかも暗証番号を設定するのかとおもうと、なお、めんどうで、封を切らずに眺めている。眺めていたところでなにもはじまらないとわかっていても眺めている。もう何もかもがめんどうで、所ジョージさんは「面倒なことがおもしろいんだよ」と世田谷ベースでおっしゃっていたような気がしないでもないが、楽とめんどうを秤にかけると、0.2秒で楽が勝ってしまう。二日酔いなのだろう。三月も半ばを過ぎて、聴こえてくるのはコロナの話題ばかりだが、もう明後日は春分の日だったりするわけで、なんかひじょうに勿体なく感じる。本来、啓蟄の候であれば、目に青葉、山ほととぎす、初ガツオなどとまばゆいばかりで、春場所で大阪の街をほっつき歩くお相撲さんに春風をあおぎ、選抜やら開幕やら入学やら入社やらを待ちわびて、新たな期待に胸あつな季節。なのに胸が苦しいなどと、コロナの野郎、ぶっとばす。
posted by せつな at 10:04Comment(0)日記

3月17日 朝

植松聖被告に下された判決は極刑だった。植松氏の考え方、思想に対しては多くのひとにいくつかの、あるいは膨大な所感があり、先般、テレビで紹介された植松氏からの手紙など、踏まえたうえで、以下の記事を紹介します。「もうひとつのガス室への道」と題された3月14日付けの朝日新聞の付録記事です。
ベルリンフィルの本拠地ティアガルテン通り。第二次世界大戦中、この通りの4番地に秘密作戦の司令部がおかれた。通りの名からT4作戦と呼ばれる。ドイツがポーランドに侵攻した1939年9月1日。社会を身体的、精神的に優秀な者だけで構成すべきだとする優生思想に基づき、精神障害を抱えたひとたちに対する計画のはじまりだった。作戦は翌年1月から実行される。犠牲者の数は30万人。これがユダヤ人絶滅を目指すラインハルト計画につながる。
記事には医師が診断書を偽造するために最後の診察を行った脱衣場の写真があり、生々しい。右側にガス室へとつながるドアがあったが、現在はコンクリートで封鎖されているという。
薄れゆく意識のなか、この小さな部屋で、どれほどの恐怖と絶望を感じたのか。窓枠に鉄格子が見える。「シャワーを浴びよう」医師からそういわれ、みな歓喜しながら部屋に入った。だが、シャワーヘッドから水が出てくることはない。代わりに医師は一酸化炭素の元栓を開け――」
優生学という思想を知ったのはおそらく20歳ぐらいのころで、愛と幻想のファシズムを読んだときだった。ナチスの為政に興味を抱いた時期。優生思想はつまり白人は上で黒人、アジア人は下とみる判別法。主に欧米で発展する。これが個々に流行するのは今も同じで、当時のナチスに当てはめると、ゲルマン民族が上位、ユダヤ人が下位となる。これは日本にもあった。ちょっとまえに各新聞記事をにぎわせたので覚えているひとも多いとおもう。旧優生保護法で1996年までに約2万5千人の障がい者が不妊手術を強いられたとする訴訟に関する判決があり、憲法13条に違反するという判断を示した事案。誤解を承知で発するが、相模原の事件が一石を投じたことは間違いない。「今後、働ける見込みのない者」「経済的価値なし」と烙印を押されたものが次々にガス室に送られた時代。そして、現代社会。現代日本。あいつが上で、あいつは下。重度障碍者と向き合う他人がどれほどいるだろうか、とか、歯車、とか、知能指数、とか。論えばキリがないのだけど、単純に心が痛む、とかでいいのかもしらん。相模原の事件では被害者の多くが痛いよう痛いようと泣いていたという。植松氏は以前からどのような判決でも控訴しないと公言しているので、これで終わりかもしれない。裁判の最後、突然、手を挙げ「ひとつだけ」といって発言の機会を求めたが、認められなかったという。聞いてみたかった。
posted by せつな at 08:09Comment(0)日記