3月25日 午前中

東京オリンピックの延期が確定した。2020年はどうやらコロナとの対決で終わることになりそうで、そうなると考えるべきは身の回りのこと。いつ忍び寄るかわからない感染症におどおどしていてもしょうがない。マスクをつけ、栄養をつけ、休養をとり、手洗いうがいを徹底する。ひとごみも避ける。本日は25日なので5のつくデイ。ということでヤフーショッピングでお買い物をしよう。買うべきものは多々あるので、なるべくネットで済ませよう。本当に便利な時代になったものだ。欲しいものを見つければ寝たままでも買い物ができるし、深夜だろうが、早朝だろうが、時間も選ばない。ぽちっと押すだけで商品が向こうからやってくるし、自宅不在でも宅配ボックスに入れておいてくれる。あとはそれを買う購買力を手にすればいいわけで、それもひとによっては簡単だろう。そう、キーワードは簡単、簡素、単純。以前から小池都知事の会見をみていていつも不快にかんじるのはやたら外来語が多いことで、日本語化した外来語ならまだしもわざと庶民をけむに巻くような新設語を駆使するのが気に食わない。これに異議を呈しているのが英語のスペシャリスト河野太郎大臣だ。「なぜ、カタカナを使うのか」クラスターは集団感染。オーバーシュートは感染爆発。ロックダウンは都市封鎖。実にわかりやすい。簡単、簡素、単純。日本人なのだから日本語を使えばいい。さらにいえば日本語を使うべきではない国際表記こそ英語に統一すればいい。諸外国の表現方法でやたらめったら揉めた過去を反省し、いまこそ実施すべきではないか。シナはチャイナでいいし、コリアはノースコリア、サウスコリアでいい。イギリスにいたってはなぜこのような呼び名になったのか、その由来をなにかで見たが、それこそ慣習がずるずると続いているに過ぎない。日本人の強みはSAとかドラゴンアッシュとかの歌詞のような融通性にあるのだから、たとえば東京メトロとか大阪シティバスは有用性としてするどいのだけれど、本来、使うべきではない解説や説明にまで広げるのは愚の骨頂というものだろう。簡単、簡素、単純。それでいい。
posted by せつな at 10:01Comment(0)日記

3月24日 午前中

気づけば三月も終盤に差し掛かり、あ、というまに新年度を迎える。いくつのイベントが中止になったことだろうと思い返すとスガキヤすーちゃん祭りまさかのナッシングにすすり泣いた日がなつかしい。ヴィレヴァンお宝発掘セール東京開催がなくなった。茨木桜通りさくらまつりがなくなった。春の選抜もなくなった。大阪場所も無観客でおわった。どうやらオリンピックも延期のようだし、さらにビッグイベント自粛の動きもここにきて加速している。新型コロナ感染者数は世界中で30万人を超え、拡大の一途をたどっているし、ブーマーリムーバーと名付けられた世代間闘争もそこらじゅうで巻き起こっている。地震があり、台風があり、新たな年号にやれやれと胸膨らませていると疫病が襲いかかり、そういえばラグビートップリーグも42試合を残し、中止となった。ニュージーランド出身選手に帰国要請がでて物理的に試合を組むのは無理なのだそうで、サッカー、野球と開催のめどがつかず、庶民のストレスも相当たまっていることだろう。かくいう自分は充実した日々をおくっていて毎日、楽しくてしかたないのだけれど、昨日のあの混雑ぶりはどうしたんだへへいべいびーバッテリーはびんびんにもかかわらず大渋滞だった。3連休明けの平日月曜日のあの混乱はおそらく自粛要請あとのラッシュだったのだろうけれど、東京都知事がいうにはここ三週間がオーバーシュート対策の山場だという。もしここで感染拡大が起きればロックダウンなる首都封鎖もありうるという。昨日、JTBの窓口をたまたま通りかかったのだけれど、三人いた受付嬢の解雇も時間の問題かもしれない。旅行業壊滅。飲食業撃滅。テーマパーク全滅。シルクドソレイユは実に全従業員の95パーセントが解雇されたというし、影響が長引けばライオンやトラのエサ代も減らされるかもしれない。好調なのは運送業界ぐらいのものか。こういうとき、ユーチューバーとか広告収入のあるやつは強いなとおもう。がんばってお金を稼いだあとはそのお金に稼いでもらうとは投資の基本であるが、寝てるあいだにも稼いでくれる広告収入やら印税やら不動産収入やらはまさに勝ち組必須要件なのだろう。
posted by せつな at 09:54Comment(0)日記

3月23日 朝

とうとう一日を通してTシャツ&ハーフパンツで過ごしてしまった。こうなると、もう寒暖差に合わせて以前の格好に戻るのは億劫で、せいぜい何か羽織るぐらいとなる。春ですね。さて、世間は相変わらずコロナが蔓延している。毎日、新たな情報がまるで那智の滝のようにあふれ出ているなか、イタリアの対応を絶賛していた上昌広さん息してますか。結句、日本の環境と日本人の民度がウイルスに打ち克ったとそれでいいですか。息してますか。最近、耳鳴りがひどいのでジムのときに欠かさずかけていたブルートゥースヘッドホンをやめた。二日やめたら耳鳴りが小さくなった。爆音で走ると気持ちいいが、そろそろ副作用が如実に表れる年齢となってしまったのだろうか。それならそれに合わせて対応すればいいだけの話、と、こういった考え方ができるようになったのはいつごろからだろうか。自分の場合、ひととの切っ掛けより作品との出会いが人生の教えとなったことが多いので、おそらくスペンサーシリーズのこんなひとことが影響したようにおもう。「コントロールできることがあれば、するのが賢明な生き方だ」つまり、何が起きるかについて考えてもしょうがない。これは相手側サイドの決定。何か起こったとき、どう対処するか。これが自分サイドの決断。今回のコロナ騒動では徹底的に相手サイドに振り回されたというか、気づけば向こうの手のひらで踊らされていた。昨日の朝、専門家会議のあのひとがおっしゃっていたが、やはり、ガードの上げ下げが大切で、これは一見、相手サイドのゲームに突き合わされているように映るが、実はこちら側のゲームで、是々非々の考え方に似ている。保守であれリベラルであれ、景仰されるべきは是々非々であって、ここに物事の根本がある。いまの野党を見ていると、完全にこの根本を放り投げているようにしか見えない。揚げ足取りとミスリード。かつての社会党を彷彿とさせる議会戦術。あのときはバブルの狂奔にとち狂った連中が票を投じ、この国は一度、壊滅した。戦争を合わせると二度。民主党時代は意外と持ちこたえた。これは企業努力の最たるもので、ここにもセルフコントロールという瀬戸際の戒めがあった。いくら時代に翻弄されようと、ウイルスや大規模自然災害が行く手を阻もうと、生き方は示せる。めげずに前を向こう。向くしかない。
posted by せつな at 07:18Comment(0)日記