3月31日 午前中
しむらコロナー。昨日はずっと全員集合を観ていた。志村けんという稀代の才能を観て育ったのだ。土曜日の八時。それは訪れる。八時だよ!全員集合。柳ジョージ氏がいなくなったときの志村氏のコメントがいまどことなくふわふわとただよっているようなかんじでひとの一生とはいかに危うげで奇妙で暗闇のなかを進んでいるのか逆行しているのかわからないそんなものだという認識を抱いている。あらためて志村氏の人生をウィキペディアで覗き見た。1950年2月20日東京都東村山市に生を設ける。厳格な父のもとで育った彼はやがてお笑いの世界に興味をおぼえ、中学時代には文化祭でコントを披露するぐらいだった。そのころ新設された東京都立久留米高等学校に進学する。同じ中学から受験したのは13人で教師から「志村は無理だろう」といわれたが、合格したのは志村氏ひとりだった。高校ではサッカーをしゴールキーパーを担当した。高校卒業間際の二月にいかりや長介氏の自宅を訪れ、弟子入りを志願する――しばらく読み進めたのだけれど、泣きそうになったのでもうやめる。全員集合が終わったあと、かとちゃんけんちゃんゴキゲンテレビがはじまるのだけれど、そのころのインタビュー記事を読んだことがある。覚えているのはひょうきん族に関しての記述で、お笑いに対する熱い視線というか、普段、テレビでは見せないこんなにまじめなひとだったんだなという印象を受けた。当時、土曜日の夜、特に8時は特別な時間だった。魔法にかかったような時間。楽しすぎて幸せすぎて昂揚感がぐるぐるぐるぐるうずまく時間。全員集合があって、ひょうきん族がはじまって、ごきげんテレビが巻き返す。その後、めちゃイケへと流れていくが、原点は全員集合だった。オイッス。しむらコロナー。気をつけて。もういくら叫んでもどれだけわめいてもあのひとはいない。アイーンも聞けない。だっふんだも聴こえてこない。だめだこりゃ。芸人は笑って送り出そうとかつて上岡氏も述べていたが、笑いながら泣くのがいいのか、泣きながら笑うのがいいのか。だいじょうぶだあ、を聞きたかった。