2月29日 朝
突然ですが、今日で卒業です。ブログではないですよ、学校の話ですよ。あと数週間を残し、突然ですが、今日で卒業です。本当にありがとうございました。せつねえ。ウイルスが蔓延すると、人々の暮らしは劇的に変わる。人類は未曽有の危機に立っているが、いまだ有効な手立ては見つからない。せめて感染の拡大を阻止しよう、そうしようと、編み出された秘儀が「突然ですが、今日で卒業です」思いだすのは10年前。正確には9年前。2011年3月のことだ。社会人大学の卒業式が東日本大震災の影響で中止となったできごと。4年間、この日を夢見て、リポートを書き、スクーリングを受け、ブログを更新し続けた。ああ、あのエネルギッシュな日々よ。渋谷の当時、レモンホールと呼称された渋谷公会堂での卒業式だった。露と消えた。卒業式がなくなった。袴を用意した同窓生もいた。有休を申請した校友もいた。チケット予約した旧友もいた。大規模自然災害のまえには無力だった。もちろん、多くの犠牲を考えれば、自粛は当然だったかもしれない。しれないが、やりきれない思いは抱いて当然ともいえる。今回のもはやパンデミックと化したコロナはそうしたひとびとの感情をあざ笑うかのように日本列島を覆いつくそうとしている。苦肉の策とはいえ、全国規模で本日、突然、卒業を申し渡された気分はいかようなものだろうと、相当の想像力を駆使し、さらに細くなった記憶をたどって、思い至ってみる。卒業まであと少し、放課後、テニスコートで同級生と打ち合っていると、後輩たちが校舎からまぶしい目で眺めていた。ああ、先輩、本当に卒業しちゃうんですね。知らないが、たぶんそんなやるせなさが渦巻いていたとおもう。自分もそうだったから。卒業を実感するのはあの三月の数週間だったように思い起こされる。2月では決してない。感傷的でいて、晴れやかで、飛び立つひとたちと残されるひとたちの特別な数週間があの季節の特色で、校内放送で響き渡った遠藤ミチロウの仰げば尊しが自分の胸に今も響いている。おとなにセンチメンタルはないのかもしれない。あるのはメランコリックだけで。なにをいっているのだろう。卒業シーズンをふっとばして今日もウイルスが元気です。人類は必ず勝つ。