12月26日 午前中
今年、最後のお風呂の日ということで、どこのお風呂に入ってやろうかと関西ウォーカースーパー銭湯&日帰り温泉一冊まるごとクーポンbookを取り出してきて、いろいろ物色している。制約は特にない。時間もある。身体は適度に疲れているし、ジムも休養日だし、天気も寒々しくて、しかも雨模様とあって、露天日和。何より眠くて仕方ない。木梨氏が歌ったように「昼寝か、マッサージで落ちたいぜ」の気分の日にスーパー銭湯は何よりのごちそうだ。よし、決まった。たまには冒険をしよう。というわけで、冒険。冒険といえば、世界は冒険の積み重ねによって発展してきたことは疑いようのない事実であるとして、その冒険についてモノの本を紐解くと、成功のおぶつかないことをあえて行うこととある。では、なぜ、ひとは成功のおぼつかないことをあえて行うのか。答えは単純明快だ。それはその成功をそのひとは欲しているからであって、そのためにあえて行うのだ。ひとは冒険者でなければならない。かのTSエリオットもいっている。「ひとは冒険をやめてはいけない。なぜならその冒険の果てに出発点にたどり着くのだから。そして、はじめて居場所を知るのだ」おもえば、このエリオットの詩を知って以来、もう10年以上前だが、それ以来、本当の冒険を知った気がする。人生は言葉を取り戻すためにある。その言葉を日々の暮らしに置き換えると、おそらく魂とか精神といった目には映らないが、確実に存在する波動となる。言葉とは生々しくも幻想的で、あるときは残酷に迫るが、あるときはとてもやさしい。そういった目まぐるしい言葉の海原を漂っているときこそが、つまりは冒険の最中であり、ここに以前にも記した「旅ならここでもできるのに」という深奥に達する極地へのいざないとなる。最強の冒険者を目指して、尽きせぬ夢を見る。最高の高みを志して、届かぬ星に手を伸ばす。たった一瞬を手にいれることに命を燃やす。今日も冒険者であろうとおもう。新たなスーパー銭湯を発見する旅へ。いざ。