12月15日 午後

仁義なき戦いをみると、昭和というのがいかに激動の時代だったかといまさらながら安寧の令和にほっとしたりする。わいは明石組の岩井やといえば、ファンならすぐに顔が浮かぶ。おもえば、もう主要人物で残っているのは田中邦衛氏と北大路欣也氏ぐらいなのではないか。漫画ピーチの主人公はいわずとしれた広能。相方が武田。あ、小林氏もまだいた。失礼ないいかた。失礼。主要人物のもうひとりが岩井で、その後輩が相原。もちろん、すべて仁義なき戦いの登場人物から名付けられたキャラクターだ。まあ、それほど広能、武田、岩井、相原はかなめだということを強調したい。くしくも菅原文太氏とおなじ81歳で旅立たれた梅宮辰夫氏だが、ずっと梅宮氏のほうが年上だとおもっていた。仁義シリーズに魅せられたその後の世代にとって、そうおもっていたひとが多数ではないだろうか。義兄弟の血をすするシーンでも兄貴分は梅宮氏。弟分が菅原氏。見た目もそんな感じで、辰にいと呼ばれる貫禄と恰幅のよさが際立っていた気がする。でも、実際は五歳ぐらい文太さんのほうが年上で、おととしだったかなあとおもっていたら81歳没ということはもうあれから5年の歳月が流れたことになる。文太さん、健さん、キンキン、津川さん、松方さん。だいたい80前後の生涯だった。また名優がいってしまった。とはいっても梅宮氏の場合、ほかの役者さんと違い、仁義シリーズ以外であと印象に残っているのははぐれ刑事シリーズの署長さん役ぐらいだ。なんとか番長とか、昭和の映画の名前は知っていてもほとんど観たことがなく、やはり世の中を席捲した追懐はバラエティ番組であったり、釣りや料理といった男の生き方を豪快かつ繊細に示したところだろうか。料理の鉄人に出演したときの道場氏の雑言をいまもおぼえているけれど、時代は流れた。漬物を長くつければそれはそれで本物の味になるのだ。また、ひとり、本物の男がいってしまったわけだが、今回の報道でおどろいたのは医学部を受験するほどの秀才だったということ。不合格、のち日本大学法学部に進学するという進路にも、おお!と呻ってしまった。大学在学中に銀座でスカウト。その後は誰もが知る梅宮氏になる。仁義なき戦いを観たくなった。あの数々の名台詞に触れたくなった。わしらの時代はおわったんじゃけん。そんな声が聴こえた気がする。
posted by せつな at 13:34Comment(0)日記