12月10日 午前中
ひさしぶりに留学生シリーズを観た。なかでも好きだったのは「若者たち」で、けなげ、懸命、一途。日本人の美徳である勤勉、謙虚を1997年当時のこの映像の外国人たちに教えられた。そこにあるのはひたむきな情熱で、これだけはどんなに時間が流れようと変わらず人の心を打つ。昔の印象とは違って、いま思うことは水は上から流れる――上善は水のごとしという老子の説いた教えに沿うようなそんな心持ちでみた。東京という不可思議な都市に吸い寄せられる若者たち。古くは金の卵であり、80年代終わりの上京物語であり、それが、外国人にとって代わり、いまもまた上京物語がどこかで再現されているといった心持ち。なんか、忘れてしまっているな、と感じる。昨今の社会情勢に基づくものなのか、単に世代交代による認識の差によるものなのか、そのあたりはわからないのだけれど、あのひたむきなエネルギーはバーチャルな世界観には存在しない。そのことだけはわかる。シリーズはほかに「小さな留学生」「私の太陽」「泣きながら生きて」があり、過剰な演出と編集に辟易とする部分をのぞいても、すばらしい作品群に仕上がっている。2019年の今の日本人に欠けているもの。それは、胸のうちで、はらはらと泣きながら慣れ親しんだ故郷を飛び出し、もう二度と帰らないつもりで見ず知らずの土地に飛びこんだあの季節。あの年月。あの数年。あの瞬間。あのとき、なのではないか。「若者たち」の主人公かんさんは本国にいたころ、恵まれた生活をしていた。共産党幹部の知事クラスの父を持ち、母親もまた市長クラスという周りが近寄りたくても近寄れないような特権階級。新宿駅に降り立つかんさんに見える世界はまさに天国そのものだった。きらびやかなネオン、着飾ったひとたち、目まぐるしい車の流れ、そういったものすべてが語りかけてくる。ここがおまえの暮らす場所だと。スクリーンは切り替わり、これからかんさんが生活するアパートへ。風呂なし、トイレは共同、一分おきにやってくる電車。さびれた部屋。ある程度、覚悟はしていたというが、想像と現実とのギャップに慄くかんさん。最初は戸惑っているもののやがて東京での暮らしにも適応していく。さだまさし氏のかかしを聴きたくなった。