12月8日 朝
開戦記念日だ。1941年のこの日、我が大日本帝国軍が鬼畜米英を撃破すべく真珠湾を攻撃した。今日を境に太平洋戦争が本格的にはじまることになる。この特攻は命を賭した特攻である。賛否あったところで、日本人であるなら答えはただひとつ。鬼畜英米および反日アジアは駆逐すべし。御英霊に感謝。それで、12月8日はほかにどんな日かというと、秋葉原にAKB48劇場がオープンした日でもある。その後の活躍は誰もが知るところであるが、2005年のこの日、今日の繁栄を誰が予測しただろう。ひとり、予測していた人物がいる。その人物はマネーの虎というテレビ番組に出演していた。斬新なアイデアに関わらず出資者は誰もが懐疑的だった。演者のあまりの下手さにその見解は全会一致で承知の幕を下ろした。わずか数年、このアイデアは他者によって具現化される。まさにあれよあれよといった間に日本中を席捲することになる。この当時、マネーの虎と吼えた出資者にいまは見る影もない。先見の明という言葉が本来の力強い意味を持つとすれば、あのとき、あのアイデアを投資家は見過ごすべきではなかった。そういったカテゴライズでもうひとつ。同じく1995年の今日、高速増殖炉もんじゅでナトリウム漏洩事故が発生する。問題はこの後の対応で、動力炉核燃料開発事業団(動燃)は記者会見の場で事故当時のビデオを公開するのだが、これがカット編集されたものであることがのちに発覚する。悪質な事故隠しであると指摘を受け、その後、全容を映したものを発表。これが自決者を出すまでの騒動に発展する。95年といえば阪神大震災の年でもある。それから10数年、時間という手当もむなしく、あの福島の大事故につながるとすれば、もしかすると95年の事故は方向転換の絶好のチャンスだったのかもしれない。もちろん、すべては結果論であり、歴史にたらればはない。あるとすれば、尊い教訓だけだが、鼻の利かせ方だけは訓練のたまものであり、先の先見の明はややこしいがその先にある概念でもある。とどのつまり、そういうことなのだろう。