12月7日 午前中
イランが揺れている。忘れていた。フランスが揺れている。忘れていた。アフガニスタンも揺れている。香港ばかりではなかった。地震酔いしそうだ。揺れるといえば、昨日からルミナリエがはじまった。あれから25年。なんと、四半世紀が経過したことになる。いろいろあったなあ。懐かしい神戸。思い出の神戸。せつなくて、くやしくて、いとしくて、駆け回った神戸。震災後、ルミナリエには一度だけ訪れたことがある。もしかすると二回か三回あるかも。ただ、完ぺきにあの光の輪をくぐったのは一度だけだったとおもう。幻想的なイルミネーションは例えるなら皇室のまばゆさのようなもので一切の通俗を排除したいさぎよい圧倒的な光量を放っていた。クリスマスといえば、赤や青や緑といった鮮やかな色彩がほとんどだろうとおもうけれど、当時、観たルミナリエにはそうしたある種の野暮ったい装飾は見られなかった。ただただ鎮魂と復興を願う厳かな光の渦のなかを進んでいく感じ。白昼夢というか。25年というと、社会の主軸たる層では覚えている人間のほうが少なくなっているのではないか。今年、30歳としても当時、5歳。あれ、5歳なら結構おぼえているような気もするが、とにかく今年もルミナリエがはじまった。開催期間は今月15日まで。年が明けると、2週間ほどであの日がやってくる。忘れたくても、もう思い出せねえ、なんていってみたいが、そうはいかのきんたまたこがひっぱるで、しっかりとおぼえているものだ。あのころ、いた、ひと。いまは、もう、いない、ひと。あの面影のまま、育ったひともいれば、まったく違った人相になってしまったひともいる。さりとて、自分はいまここにいる。こうして息吸って、吐いて、ここに存在する。きっと、これがすべてなのだろう。ルミナリエで検索すると「ルミナリエの見どころ」とか「ルミナリエの歩き方」とかいろいろ紹介されているが、必須はただひとつ。セットで南京街に寄ることだ。水餃子と小籠包は欠かせない。河島英五も歌っているように、いまを楽しむがいい。