12月6日 朝
その昔、最高の米どころといえば、庄内米だった。コシヒカリやササニシキ、あきたこまちといういわゆるブランド米が登場するまでは山形のお米が最高級品だった。これを知ったのはいまや時代小説の大家となった山本一力氏の本がきっかけだ。題名は忘れたが、寿司職人と武家の絆を描いた小説で(銀しゃりだったかも)とにかくお米が話の軸にあった。元来、日本人というものはその生活様式において、お米を中心にすべて成り立たせてきた世界でも稀有な民族だ。給料もお米。税金もお米。嗜好品もお米でつくられ、年に二回のお祭りも田植祭と収穫祭とこちらもお米に由来する。日本書紀には瑞穂の国、すなわち、瑞々しい稲穂の実る美しいわが国ともあり、日本人にとってお米とはまさに大地に宿る神そのものだったのだろう。そのお米の最高位にあったのが、山形の庄内米で、庄内といえば、とっさに思い浮かぶのは幕末最強と謳われた庄内藩。庄内藩といえば西郷南洲。西郷どんがあんなに太ってしまったのは実は庄内米がおいしかったからではないかとこれは学術研究として取り上げる価値があるのかもしれないがたぶんないだろう。なぜ、庄内米はおいしいのか。これは地形に関連する。庄内平野は日本海に面する4000平方キロの扇状地で、三方を山に囲まれ、山から海に向かってゆるやかに傾斜が続く。そうすると、水が上方から下方へと自然に流れる仕組みなのですべての田畑に水がいきわたる。さらに平野には水量の豊富な河川が何本も流れていて米作りの命ともいえる水流に困ることがない。この地形のアドバンテージを生かし、庄内藩は官民一緒に米作りに精進した。何度も改良を重ね、努力による努力を積み重ね、情熱と根性を上積みし、現在にいたるまで山形のお米はその地位を不変のものとしている。昨今はつや姫という新ブランドも誕生し、もはや、戦国時代と化しているジャパンニューブランドライスマップにおいてもトップクラスを堅持している。にしても最近の新銘柄米の激戦はいったいどうしたことだろう。つや姫、ゆめぴりかなどはいうまでもなく、だて正夢、ひゃくまん穀、富富富、いちほまれ、などなど。お米マイスターという限られたひとしか知らなかった専門家も今や脚光を浴びる存在と化している。なぜ、このようなことを書いているか。昨日、お米を注文したのです。それが山形米なのです。届くのが楽しみです。