12月3日 午前中

誰も知らない明石家さんま第5弾を観た。天分という言葉をこれほど如実に物語っているひとをほかに知らない。第4弾を観たときも似たようなことを書いたのだけれど。この国のお笑い文化を語るうえで、外せないひとは数あれど、その最たる象徴と銘打てば、さんま師匠をおいて誰がいるというのか。一時はマニアだった。いまだに「ビッグな気分」と「こんな男でよかったら」は我が本棚に大切に飾られている。せっかくなのでビッグな気分を本棚から引っ張り出してみた。定価780円。1980年出版のこの本がいまいくらぐらいするかというと、アマゾンで29998円。ずいぶん価値が高まったものである。もちろん売るつもりはない。本の中盤にさんまポエムと題した詩が数ページあって、そのひとつ「ピエロになりたい」を引用する。
どんなに悲しい時もわらっていたい どんなにつらい時も笑っていたい あいつはバカだと言われても どんな時でも涙なんか見せない 梅雨空のように いつも泣いてばかり そんな人生 人にいやがられるよ あの安物のおもちゃ 笑い袋のように いつも 大声で笑っていたい でも たまには 涙と会いたい 
さんま哲学を紐解くうえで、この詩は大いなる助言を与えてくれる。25歳のときに記された人生という荒波への解答。現在、64歳にいたるまで、この答えはみじんも変わっていないようにみえる。対極にいるのが島田紳助氏とするなら、真ん中が松本氏で、この二人ぐらいのシリアスへの捉え方のひとは結構みかけるが、さんまさんの立ち位置には誰も存在しない。永ちゃんが9月に発表したニューアルバム「いつかその日が来るまで」に何か特別な感情が渦巻いた。ビッグな気分の副題は「いくつもの夜を超えて」スーパースター独特の因縁めいたものを感じる。いくつもの夜を超えて、いつかその日が来るまで。誰もわからない。誰も知らない。ただ、平成が終わったように何かはやがて終わる。いずれ、ひとは天に還る。諸行無常。しょうがないか。せめて、BIGな気分で明日を生きよう。
posted by せつな at 10:41Comment(0)日記