12月1日 午前中
師走に入ったとたん寒さが増した気がする。12月1日。日曜日。これはもう府政だよりを読むしかないというわけで、昨日、酔っぱらってまた自転車でこけたので、おしりが痛くて、それをかばうように正座して大阪府府政だよりに目を通している。注目に値する項目がいくつかあるなか、やはり、大阪府立大学と市立大学の授業料無償化の一報は喜ばしい。「親の経済事情や家庭の個別事情によって、大阪の子どもたちが進学を諦めることなくチャレンジできるよう、大阪で子育てをしている世帯への支援として、一定の要件のもと府立大学、市立大学の授業等の無償化を令和2年4月の入学生より実施します」とあって、その横に「中学校夜間学級で学びませんか」と続き、授業料は不要です、の文字が目立つ。ちなみに府内7市で開設しており、具体的には大阪、堺、豊中、守口、東大阪、八尾、岸和田の七つ。こちらの申し込みは令和2年4月30日まで。「大切なのはお互いを尊重し合い、思いやりのある行動をすることやで!」と、もずやんもいっているとおり、その通りなのだよ。それで、このふたつの観点から、つまりは「教育を受ける機会の拡充」もうひとつが、ざっくりいうと「他者への理解」で、どうしても思い浮かべてしまうのはユーチューバーのゆたぽんとかいう人物。彼と彼の親御さんに対する論争は昨今、巷間の関心のひとつではないだろうか、と。自由をはき違えるとわがままになるし、過保護と無頓着はそれぞれ熱心とのびのびに言い換えることができるかもしれないし、で、その昔、東野圭吾氏の小説にあった考えかたに共感したのを今更ながら思い出すのは結句、義務教育とは責任あるオトナが責任を知らない子どもに教育を受けさせる義務を負っているのであって、子どもは教育を受ける権利を持っているという必然と偶然の間を縫うようなまさに先のふたつの観点に行きつくからかもしれない。長ずるにつれて、多くのオトナたちは「もっと勉強しておけばよかった」と嘆く。森高千里氏が歌った「勉強はしないより、しておいたほうがいいわ」が胸にしみいるのだ。だが、ここで疑問が生じる。勉強とは何か。米国における医学教育のパイオニア、WAオールコットはこれに深い考察を加えた。これは我が家の本棚でももっとも手に届きやすい位置につねに置かれている本「知的人生案内」にある。余談だが、自らの知的生活にもっとも影響を与えた本を問われれば、まちがいなく、この「知的人生案内」と「ニューヨークの24時間」のふたつだと即答できる。このふたつの本はもう表紙、中身ともにぼろぼろだけれど、いつまでも色あせることがない。オールコットはいう。「自らだけを頼りにしていれば、あなたの地位は堅固なものとなり、そうやすやすとは揺るがない」自らを頼りにするこころを育むこと。これが基礎教育、すなわち、勉強という概念の根っこの部分ではないだろうか。この部分を紐解くと、高等教育の授業料無償化、夜間中学の開設、ゆたぽん等のキーワードが点が線になり線が面になり面が麺になり麺が食となるように人生を豊かにするのだ。長くなりそうなので。麺だけに。