12月25日 朝

今年の明石家サンタもぐだぐだだったな。これはあれだな。スマホをスピーカーにしてるからだな。さておき、はじまる5分前に起こされ、ケーキを食べた。寝ぼけまなこでいただくケーキはいちご味でした。しかし、今年は温暖化を実感するクリスマスだ。雪など望むべくもなく、そりを走らせるサンタのイメージからもほど遠い雰囲気だ。サンタの配るクリスマスプレゼント。あまねく行き渡っただろうか。枕元に置かれる野球のグローブとか、ゲーム機とか、時代が移ろいでも、いくらSNSが普及しても、こういった喜びは変わりようがない。しかしながら、変わりようのない喜びは変わることによってもたらされることもある。というよりも、ほとんどの事象は変化から訪れるものだ。30年ほど前のこの日、世界を劇的に変えるシステムが稼働した。このシステムが動き出したことで、世の中の利便性はかつてないほど向上し、フォーブスの長者番付はそれまでの勢力地図を塗り替えた。信じられてきた価値観は見直された。有料だとおもいこまされてきたモノはことごとくタダになり、情報がカネに変わり、新たな富裕層が続々と誕生した。まさに人類にとって最上級のクリスマスプレゼントだったに違いない。このプレゼントはその後も勢いをとどめることなく、さらなるプレゼントを与え続けている。関連する企業は軒並み成長し、かつてテレビヒーローがラジオスターの地位を奪ったように現在進行形で果てなき未来へと上り続けている。インターネット。1990年12月25日。ワールドワイドウェブがこの日、世界にはじめて登場した。考えてみれば、いや、考えなくともだが、いまのガキは生まれたときにネットがあった。情報への接し方もまったく異なる。便利で豊かな時代。充実したコミュニケーションツールを活用し、手軽で簡単なやり取り。誰もが優先順位の一番に挙げ、誰もがそこから入る。インターネットは最高のクリスマスプレゼントだった。はずなのに。プレゼントは使い方が重要だ。活用法を誤れば、野球のバットだって、てんてんてん。メリークリスマス。
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12月24日 午前中

メリークリスマスイブ。クリスマスの恒例もケーキを食べて明石家サンタを観るぐらいになってしまった。街を歩けば疲れるし、夜に掉させば眠くなる。とかくイブの夜はくたびれる。それで、今年の明石家サンタは八木さんが出ない。なんでも線維筋痛症とかいう病気で休養するそうだ。代わりの司会が中野美奈子氏(40歳)なにが驚いたかというと、この年齢に驚いた。「ファンです」「どこが」「いや、別に」クリスマスといえば、イエスキリストの生誕祭であるが、これを知らない若者がいた。この若者は大阪育ちにもかかわらず、PLの花火大会を知らなかったぐらいだから、よほどのモノ知らずということになるが、しかし、笑ってばかりもいられない。かくいう自分を含め、オトナたちの大部分がクリスマスをキリストの誕生日と誤解している。あくまで生誕祭である、ということはイエスの誕生を祝う日であっても、イエスの誕生日ではないのだ。クリスマスは本来、クライストミサで、キリストのミサという意味が正しい。これがなぜ日本でこのようにここまで爆発的な広がりを見せたか。これに答えられるオトナも少ないのではないか。若者を笑ってばかりはいられないのだよ。モノの本によると、明治時代に当時の最先端輸入販売業だった明治屋が銀座に進出したところからはじまる。明治屋は舶来品を扱う傍ら、西洋の文化も日本に紹介するという活動を行っていた。やがてそれはクリスマス商戦として日本でも徐々に受け入れられ、プレゼントを贈ったり、その日をシャンパンやケーキで祝ったりする習慣が根付き始める。また、欧米ではターキーをいただくのが当たり前なのに日本ではなぜチキンか。一部では七面鳥が手に入りくいといった主張も聞かれるが、実際のところはケンタッキー・フライド・チキンがかつての明治屋の手法をまねて、大衆を扇動したところにその起源を持つ。個人的な感想としては、元来のお祭り好きの血統と年末という特別な期間の昂揚がクリスマスの浸透につながったのではないかとおもう。近年では、あのバブルの熱狂がそれに拍車をかけた気もする。だが、それも今は昔。温暖化で雪は降らないし、サンタも今じゃ激貧だ。とかく人の世は移ろいやすい。今日が終われば、明日からは年末モードだ。まあ、今日ぐらいはケーキを食べよう。明石家サンタを観よう。メリークリスマス。
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12月23日 午前中

アーモンドアイに賭けてました。夜はてっちりで一杯のはずでした。結句、M1を観ながら湯豆腐をいただきました。きっと、これが人生というものなのでしょう。しかし、当たらない。馬もひとも当たらない。決勝で和牛、見取り図のねたを観たかった。優勝はミルクボーイ。ぜんぜん知らないふたりだったが、ねたの完成度はすごかった。自分の手法をいかに編み出すか。改めて思い知らされた気がする。自分の武器というよりは自分でつくりあげる世界観というか、株の勝ちパターンもそう。負けるまでおなじ手法を続ける。料理のレシピもそう。行列のできるラーメン屋はスープに命をそそぐ。絵画の手法もそう。成分分析をすると、芸術家の秘策が発見されたりする。文章もそうだろう。ファンになればなるほど、読みこめば読みこむほど、誰が構築した文章かわかるようになる。楽器などもそうだろうし、歌い手は歌唱法にこだわる。本気の本気を極めると、そこの応用になるし、決勝の舞台にまで駆け上がるほどのねたとなると、昨日のコンビは全員が全員、独自の手法を生み出した連中となる。見た目以上に想像以上に努力に努力を重ね、人生を賭して、生活を捨てて、全身全霊で情熱を傾けた成果が昨夜のあの場所にあったかとおもうと感慨深い。M1の舞台は熱かった。有馬も熱かった。アーモンドアイに賭けた連中の今朝はどんな感じだろう。明るい正月。すてきな年末。ふぐがとうふになったからといって、めげているわけにはいかない。日々は進む。泣いていても進む。歩いていても靴は減るが、じたばたしていても靴は減る。おなじ減るなら進まにゃソンソン。ワインを呑んで、グランメゾン東京を観て、気絶した。起きると、ソファの上にいた。まっくらなソファの上にいた。一瞬、どこだかわからなかった。リステリンをしてから水を飲んだとおもう。酔い覚めの水飲みたさに酒を呑み。みたいな川柳を思い浮かべながら水を飲んだのかもしれない。その後、ベッドで寝た。起き上がってみれば、昨夜の夢は夢のまた夢。
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