12月28日 午前中

今朝の朝日新聞の社会面にヘイトスピーチに関する記事が載っていた。要約すると、保守速報の管理者の名前と政治団体「朝鮮人のいない日本を目指す会」代表の名前を大阪市が公表したというもの。もうひとつが川崎市のこちらはツイッターの発言がヘイトに該当するといったもの。大阪市のほうは過去、何度か名前の公表を試みたものの、電気通信事業法の「通信の秘密」の壁が邪魔をして、公表に踏み切れなかった。では、なぜ、今回は可能だったか。記事によれば、申し出者から情報のリークがあったという。これを突破口に名前が割れた。もうひとりの名前は、こちらは動画等で自らの名前を連呼しているので容易だったという。保守速報の大阪市ヘイト条例についての記述を紐解くと、指摘を受けた記事はすでに削除済みで、対応したにもかかわらず措置を受けたとある。これはいったいどういうことか。該当箇所を削除しろといわれて、削除した。削除しても、やっぱり叱られた。としか受け止められない。大阪市はなにをしたかったのか。名前を晒して、周知させることによって、何が起こるか。サヨク界隈がよく用いる横山やすし氏の頭が割られたような事態をふたたび呼び起こすつもりだったのか。今回、かなり胡散臭い連中(大阪中にあふれているひとたち)がかかわっているのは記事から読み取れたが、それよりも事の核心は言論の自由が恐喝まがいの実力行使によって、潰されようとしていることだ。ラブ&ピースとジョンが歌ったとき、ジョーはヘイト&ウォーと鼻で笑った。これが表現方法と評価された時代も今では隔世の感がある。時代は変わった。これは10年前とも変わったということだ。なので、正直、こうも思う。名前が出たからなんだ?顔が割れたからどうした?ただ、保守速報のひとは男性だとばかり思いこんでいたから、女性名のような感じでもあるし、このあたりは微妙だ。同じく今朝の朝日新聞の社会面。隣のページに南コリ籍のハン容疑者の凶行が載っていた。これを調べ上げて、事細かく、解析し、自分の意見を取り混ぜ、ブログで発表する。そこには怒りもある。悲しみもある。被害者もいる。いろいろな感情が相交わって、言葉として独り立ちする。これをヘイトと呼ぶならば、彼らの嫌う大本営発表はここからはじまる。革命の日は近い。
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12月27日 午後

&mallが歳末1000円クーポンをくれたのでrodeoのパーカーを買った。やった。初詣で着たいけど、たぶん無理だろう。今年も過去最大の配送量となるのは目に見えている。逆に対面で届けられるのも気をつかってしまうし、そうなると心強いのがモニター付きのインターフォンと宅配ボックスというわけで、マンション住みでよかったとおもえる瞬間だ。それにしても年末はどうなのだろうか。一応、ヤマト運輸のホームページをチェックしておいた。「年末年始は交通渋滞や天候により、宅急便等のお届けについて、一部地域で遅れが生じる可能性があります。お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、日数の余裕を持ってお荷物をお出だしいただきますようお願い申し上げます」って、これ、2016年のでした。今年はこっち。「なお、高速道路の交通渋滞等により、一部地域でお荷物のお届けに遅れが生じる可能性が、」だいたい同じ内容だった。対象期間が今日から6日まで。そういえば、今日で仕事納めかとカレンダーをみて驚いた。ワイン呑んだり、焼酎飲んだりしているうちにいつのまにかこんな日だ。大晦日は最強の寒波が到来するらしいので、あ、もう空も真っ白だ。寒い日はクリームシチューにかぎるなあ。昨日は昨日でじゃがいもが安かったので、肉じゃがをつくったのはいいのだけれど、20個ぐらい転がしてしまったので、どうしよう。これをクリームシチューに転用するというのも手だが、そうするとクリームシチューが大量にできあがってしまうし、ここのところ、呑みすぎで食欲もないし、冷蔵庫も身体もパンパンだ。これではいけないと気合いを入れて、ジムで走ったのはいいけれど、お昼はお昼でこのまえ食べたリンガーハットのちゃんぽんの味を再現しようと躍起になり、30センチの中華鍋いっぱいに野菜や肉が煮込まれて、おまえはほんまにアホかと自分を叱りながら、それでも朝と昼にかけて、味も少し変えて、先ほどいただきました。ごちそうさまでした。
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12月26日 午前中

今年、最後のお風呂の日ということで、どこのお風呂に入ってやろうかと関西ウォーカースーパー銭湯&日帰り温泉一冊まるごとクーポンbookを取り出してきて、いろいろ物色している。制約は特にない。時間もある。身体は適度に疲れているし、ジムも休養日だし、天気も寒々しくて、しかも雨模様とあって、露天日和。何より眠くて仕方ない。木梨氏が歌ったように「昼寝か、マッサージで落ちたいぜ」の気分の日にスーパー銭湯は何よりのごちそうだ。よし、決まった。たまには冒険をしよう。というわけで、冒険。冒険といえば、世界は冒険の積み重ねによって発展してきたことは疑いようのない事実であるとして、その冒険についてモノの本を紐解くと、成功のおぶつかないことをあえて行うこととある。では、なぜ、ひとは成功のおぼつかないことをあえて行うのか。答えは単純明快だ。それはその成功をそのひとは欲しているからであって、そのためにあえて行うのだ。ひとは冒険者でなければならない。かのTSエリオットもいっている。「ひとは冒険をやめてはいけない。なぜならその冒険の果てに出発点にたどり着くのだから。そして、はじめて居場所を知るのだ」おもえば、このエリオットの詩を知って以来、もう10年以上前だが、それ以来、本当の冒険を知った気がする。人生は言葉を取り戻すためにある。その言葉を日々の暮らしに置き換えると、おそらく魂とか精神といった目には映らないが、確実に存在する波動となる。言葉とは生々しくも幻想的で、あるときは残酷に迫るが、あるときはとてもやさしい。そういった目まぐるしい言葉の海原を漂っているときこそが、つまりは冒険の最中であり、ここに以前にも記した「旅ならここでもできるのに」という深奥に達する極地へのいざないとなる。最強の冒険者を目指して、尽きせぬ夢を見る。最高の高みを志して、届かぬ星に手を伸ばす。たった一瞬を手にいれることに命を燃やす。今日も冒険者であろうとおもう。新たなスーパー銭湯を発見する旅へ。いざ。
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