10月31日 朝

10月も今日で終わりですか。ということは明日は丸亀製麺の一日うどんの日ですか。ならば今日のランチはうどんを避けますか。さて、すっかり生活に根付いた気もするペイペイであるが、気づくとすっからかんになっている。ほとんど100均で消えていく。便利な世の中になったものだ。先日ははじめてICOCAも購入した。これで支払い面はカバーできるとおもう。肝心の現金もキーケースにいくらか入れている。このキーケースはヴィレヴァンのお宝発掘で見つけたものなのだけれど、とても重宝している。札と小銭以外にカードも2まい収納できるし、キーハンガーも6連以上ある。はず。10月以降、こうしてキャッシュレス社会が本格化するにつれ、ひとびとのマネーリテラシーはさらなる向上を求められる。無論、自分もそのひとりなのだけれど、昔ならカネがないのひとことで購入を断念していた事案が、後払いのためについ買ってしまうことが増えた。これは大市民の山形氏の影響も少なからずある。買わないで後悔するなら買って後悔しろ、との戒めの言葉だ。ギターをまた買ってしまった。人生ではじめて持つエクスプローラー。いや、もしかすると手にしたことはあるかもしれないが、手元に置くのははじめてだ。長くファイヤーバードを愛し、最近はモッキンバードばかり弾いている身からすればその重量感に違和感はない。ただ、試奏したときよりも音がよくない。実はsgとどちらを買うか迷ったのだけれど、見た目をとってしまった。さっそく弦をぶち切ってしまったので、今日の午前中はメンテナンスからはじまる。クリーナー三種の神器を駆使し、細部にいたるまで念入りに介抱する。正直、ピックアップのパワーがものたりないが、これで交換するのはビギナー。マニアはオリジナルの音をひたすら愛する努力をする。人間同士のつながりとおなじだ。短所をそのまま愛せば、たったひとつの長所で事足りる。ギターは楽器であると同時に工芸品でもある。存在そのものが芸術なのだ。ああ、なにもかも男女関係と一緒だ。見た目がすべて。それでいい。中身がすべて。それでもいい。バランスが大事。それだっていい。両方、ずば抜けているのが最高。そりゃそうだ。呼応するのは自らのスペックであることはいうまでもない。
posted by せつな at 06:12Comment(0)日記

10月30日 朝

10月を半そで短パンで過ごした。今日を含めて、あと二日なので11月も半ばぐらいまでこんな格好が続くかもしれないとおもっていると、今朝はひんやりと冷たい。涼しいを通り越して冷たい。ベランダを開けると、この格好ではつらい。ラグビーワールドカップの10月。日本代表が躍進を遂げた10月。即位礼正殿の儀があった10月。わが家に目を向けると、楽天電気がはじまった10月。天一祭りに出かけた10月。自転車を買い替えた10月。そして、何より、消費税の上がった10月。じわじわと家庭をアリジゴクに追いこむような10月のはじまり。おそらく、この国はもたない。社会保障費が莫大すぎる。年金暮らしの年寄りは街中を元気よく闊歩し、20代には夢がなく、30代には現実が重くのしかかる。団塊ジュニアにいたっては、もはや負の遺産でしかない。大量消費世代であるはずの社会の主軸にベビーブームは起きなかった。出産適齢期も過ぎ去った。これがこの国の確かな未来だ。団塊の世代が後期高齢化する2025年ごろは本当の危機ではない。団塊ジュニアのそのとき、2050年ごろにわが国は終末を迎える。なぜなら、団塊ジュニアを支える層はどこにもいないからだ。そのころには移民すら社会保障費を食いつぶす存在となるだろう。なぜ、こうなったのか。先日の朝日新聞の記事によると、引きこもりの最多世代は40代だが、支援の動きは若年層に限られているという。この記事にはからくりがある。現状に目を向ければ、世代間格差であるが、そもそも今の40代は今の20代のようには行政の関心が向けられてこなかった。これが問題の根源だ。秘策はもうない気がする。衰退の通奏低音をいかにテクノロジーで支えるか。政策としてはミニマム社会にしか道筋をつけられないはずなのだけれど、真逆の拡大路線に国民の声はつゆほど届かない。消費増税だけではない。年金、国民皆保険制度、介護保険、税金、物価上昇、被災支援、大規模災害、徴収厳罰化、格差社会、成長戦略の低迷、可処分所得の低下、使い捨ての人材、競争激化、立身出世主義の崩壊。朝の陽射しが西の空に沈みゆくような感じで、そろそろ限界が見えはじめた気がしてならない。令和維新も近いのかもしれない。
posted by せつな at 07:48Comment(0)日記