9月30日 朝
昨日は肉の日だったので肉を喰らった。とはいっても11週連続で日曜日は焼肉屋に行っている。肉の日だからといって特別感もなく、ただビールのあてに塩ホルモンを選択しているだけの話。正直、記憶もない。どうやって帰ったのかも定かではない。確信できるのはたらふく呑んで、がっつり食べて、たっぷり寝たということだけだ。絶好調。二日酔いもなく、体中にエネルギーが充満しているようなそんな感じ。今日を終えると、明日から消費税が10パーセント。あ、ちゅうまにきた感じ。とうとう消費税が二けたの時代に突入する。買えるものは今日中に購入しようと考えているのだけど、たとえば、通っているスポーツジムの会費も上がったりするわけで、事前に買おうとおもってもストックできるものは意外と少ないことに気づく。さらに世の中は進んだ。モノよりスペースの時代。ソフトの充実よりもハードの拡充性を重んじるご時世でもある。場所がない。かといって、素直にこのまま受け入れるのも味気ない。反骨と反逆の優等生だった自分はいまだ夢をみているわけで、その夢とは100億円をわが手に掴むことで、そうすると、できる努力はまず軽減税率とキャッシュレス5パーセントバックについて手当たり次第に学習することに尽きる。9月が終わる。10月がはじまる。いつだって手に届きそうだった未来の地図はいつだってその都度、書き換えられてきた。目に見えていたはずのゴールも今日はどこにあるのかおよびもつかない。流れる雲になりたいとおもった。わたしは貝になりたい。猫になって縁側で一日中、昼寝していたい。しかし、こうも思う。かもめのジョナサンは他者より遠く飛ぶことで新たな大地をみつけた。どこまでも高く飛ぶことで天敵を出し抜いた。これを自身に置き換えると、誰よりも謙虚に学ぶこと。ひたすらに修得すること。どん欲に知識を吸収すること。いっしんに情報をかき集めること。がむしゃらに調査と検討、実践と復習に明け暮れること。一昨日の朝日新聞に載っていたれいわ代表、山本太郎氏の一問一答を読んだ。「生活に行き詰ったことは一度もない。やればできる。頑張れば報われるという価値観で生きてきた」かようなことが書かれていた。「だから見えなかった。虐げられるひとびとの目線が。がんばろうにもがんばれる身体がないひと。稼ぎたくても稼げないひとたち。自分のような価値観を持った人間が地獄のような今をつくってきた」かようなことも書かれていた。なるほど、わかる。わかるのだが、だからといって、やれば、できる、を揶揄したり、卑下したりする判断を自分はもつことができない。親愛なるジャーナリスト千葉敦子氏の言葉。「昨日と違う今日を生きる」こと。変化に身をさらし、ひたむきに熟思熟考に努めること。生きることに没頭すること。さあ、今日もお稽古がはじまるわ。