8月16日 朝
五山の送り火。台風も去って、夏休みも去り行くそんな気配のなか、ああ、今年もこの日がきたかと感慨深く思いだす。それは70数年前のある日の朝だった。爆音で目覚めたぼくは開け放たれた窓から差しこむ陽射しをかんじていた。日差しは街を焼き尽くし、世界を丸焦げにしていた。だれもいない世界の中心でぼくは呆然と立ち尽くし、やがて一歩ふみだすと、そこはまさに世界の終わりだった。雲は黒く、空は暗く、空気は灰色だった。川の流れが潰えてしまっていることに気づいたぼくは喉の渇きをいやそうと冷蔵庫を探したのだけれど、そのころ冷蔵庫はまだなくて、仕方なく隣の家の蛇口をひねったのだった。出てきた水はいわゆる水ではなくて、真っ赤な鮮血で、からからだった喉はその血で潤い、身体の半分ぐらいが満たされていくのがわかった。焼けた地面をこれでもかと踏みしめる。身体が沈んでいく。なんとか身を起こす。身体が沈んでいく。いずれ夜がくる。日が陰る。早く行かなければ。ひっしにもがき、身体を起こす。ぼくは足がないことに気づいた。よくみると、足のないひとばかりだった。ふいにうたをうたいたくなったぼくは詩をみつけた。靴がないことを嘆いていた。足をなくしたあのひとをみるまでは。上を向いて歩こうのメロディに乗せてうたった。♪くつがないこと、なあげいていた、足をなっくしたあのひとみるまでは。少し気分がよくなった。足も戻っていた。ふたたび歩き出すと、戦火は止んでいて、どうして戦火とわかったかというとそんな気がしたからだった。機関銃を持った若い兵士に「どうして機関銃を持っているの?」と訊ねると、若い兵士は「そんな気がしたからだ」と応えた。ぼくは心の動きを見透かされたような気恥しい思いから、その若い兵士をフルボッコにした。若くみえたのは見た目だけだった。本当の兵士はひどく年老いていたのだった。ぼくが空手を習っていたこともあったのだろう、兵士はぼくの前に頽れた。またひとつ壁を乗り越えたのだ。せっかく乗り越えた壁も太陽のまぶしさにあっては無力で、どうして兵士を暴力によって屈服させなければならなかったのかと自問すると、カミュはいった。いや、ぼくがいったのだとおもう。太陽がまぶしかったからだった。でも、本当はぼくがまぶしかったのだけど。目覚めると、ぼくは二日酔いだった。喉が渇いていた。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、サーモスのタンブラーにひたひたに注いだそれを一息に飲み干したのだった。今日は五山の送り火だ。