8月31日 午前中

八月最後の日は野菜の日なんだって。きゅーぴーがいってた。野菜サラダに卵を加えることによって理想の栄養バランスになる。脂溶性のビタミンはマヨネーズとも相性がいい。よし、味の素マヨでサラダを食べよう。以前より気になっていたのだけど、スシローでえびアボカドをいただくとマクドナルドと同じ味がする。くらで食べると違う。もしかすると逆だったのかもしれないが、スシローのマヨネーズはおそらくキューピーのもので、くらは味の素を使っているのではないだろうか。そういえば、元スシローの店員によると、えびアボカドはもっとも手間のかかる一品だということで、できれば頼んでほしくないのだという。簡単なのはツナマヨとかカニみそとかチューブでちゅうううって注入するやつだそう。八月の終わり。それは夏の終わりを意味するのだけど、夏の終わりにしがみつくのはオトナばかりではなく、子供も同様で、この時期になると文科省だか厚生省だかは子どもの厭世観に頭を悩ませるという。学校に行きたくないよう。学校なんかいやだよう。というわけである。オトナに目を向けると、スナックが混む。わけもなく飲み屋が繁忙期を迎える。じりじりとした熱気に秋風がただよいだす。今朝は今朝でじんじんじんじんじんじんじんじんじんじん鳴いていた蝉しぐれが、すいーーっちょんみたいなものに変わっていた。カラスの鳴き声も聴こえる。空は曇り空だ。いつ雨が落ちてきてもおかしくない。一晩、寝て、目を開けると、9月になっている。できれば目を閉じたくない。閉じたくないけど、酒を呑むと、目がとろーんとして気づけば夢の中。夢のなかで叫んでいる。夏よいくな、いかないでくれ。スイカよ、冷やしトマトよ、とうもろこしよ、もろきゅうよ、焼きナス、焼きピーマン、ところてん、えだまめ、ポテトサラダ。さんまは早いよ、マツタケも早すぎるよ、焼きナスが秋ナスだって、早いよ、まだ、早いよ。もっと生ビールを呑みたいよ。タンクトップではしゃぎたいよ。
posted by せつな at 11:07Comment(0)日記

8月30日 朝

キミの夢はなに?1988年にケンジはそう歌った。その名のとおり「1988」という題名の曲だった。30年の月日が流れ、ひとびとはあいもかわらず問われている。きみのゆめはなに。本日30日は御堂筋で夏祭りが行われる。この夏、最後のイベント。もちろん、行かない。きみのゆめはなに。昨日は焼肉の日にもかかわらず、お昼におそばをいただいた。本気で立ち蕎麦の味を追求してやろうと試みた取り組みだったが、肝心の立ち蕎麦の味を忘れてしまっていたので、正解がわからないまま終わった。朝から忙しくて、午前中の日課である筋トレがお休みの日だったこともあり、そのぶん掃除や料理や届いたヘッドフォンの設定やらブログやらお風呂にじっくりつかったりを片付けつつ、蕎麦もゆでつつ、だしを取り、やっぱり、アブローラーだけはしておいた。そういえばアブローラーを三つ持っていたはずだけどほかのふたつはどこに行ったのだろうと探したら押し入れの旅行鞄のなかにあった。前日の買い物でじゃがいも、いわし、白菜、なす、ひいか、ごぼう等を大量購入したのでその下ごしらえも済ませた。いわしは頭をおとし、内臓をだし、トレイに並べること30匹。じゃがいもも30個、皮をむいて、圧力鍋に放りこんだ。それらは三種族に生まれ変わった。すなわち、ポテサラとじゃがじゃがと豚汁かけんちん汁のつもりだった汁物は結果的にカレーの三種類。じゃがじゃがは肉じゃがの肉なしの意。しかし、こちらも結果的に今朝、薄切り牛肉が加えられた。じゃがじゃがはほかに素肉じゃがともいう。つまり、肉なし。この、素、シリーズの応用はあまたあり、素スパゲティとかもある。煮崩れたじゃがじゃがをごはんにかけるとおいしかった。ポテサラの味付けはオリーブオイルと塩コショウとレモン少量。これにかぎらず、最近、サラダをいただくときはオリーブオイルと粗塩だけという場合が多い。ときめくほどおいしい。きみのゆめはなに?さっき衝撃が奔った。阪神、鳥谷が事実上の戦力外で退団。2000本安打を放ったのが一昨年の夏だった記憶がある。あの日の夜、寝屋川でテレビを観ていたのだった。きみのゆめはなに?今日もいそがしくなりそうだ。あそびで。ブログのあとは作詞をしようとおもう。なかなか進まない。イスラムの歌なのだけど、こんなさわり。「明日を予告されたアズラーイール、世界の終わり、切り裂くアズラーイール、どなってろ、がなってろ、わめいてろ」続きにとりかかろう。きみのゆめはなに???
posted by せつな at 10:13Comment(0)日記

8月29日 午前中

焼肉の日だ。8月29日。焼肉の日だ。いまげんざいローテーブルがないので、キーボードをひざに載せ、すっぱだかのくまのプーさんのような状態なのだけど、昨夜、放映された鳥人間をみた。7月28日だったか、いま飛んでるんだなあと守口の掲示板をみながら琵琶湖の方向を眺めたのもつかの間、あ、ちゅうまに一か月が過ぎた。人間の究極の夢は今も昔も変わらない。鳥になることだ。翼を広げ、大宇宙を駆けることだ。世の中をうしとやさしとおもえども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば。毎年、鳥人間に合わせて、この歌を記している気がする。山上憶良のものだが、この歌を知ったのはソーホワットという映画がきっかけ。あのころからずいぶん経ったいまでもこの時期になると観たくなる。べたな話なのだけど、それがいい。青春がいい。鳥人間をみると、青春が終わらないことを知る。青い春は過ぎたと怒髪天はいう。青春が終わって人生がはじまるとSAはいう。されど、終わらない。終わらない歌。終わらない青春。変わらない夢。変われない俺。人生にひとつだけ救いがあるとするならば、人生はひとつしかないということだ。たった一度の人生。一度きりの機会。だから、やらないよりはやったほうがいい。飛ばないよりは飛んだほうがいい。まさに見る前に跳べの精神だ。それでいい。飛んで沈むより、飛ばないでしおれるほうがかっこ悪い。最近は外野の声がほんとうに聴こえてこない。聴かないでいるわけではなく、聴こえない。不安もない。生まれてきた事実だけがおもくのしかかるだけ。でもそれは重圧ではない。もっといえば実は重くもない。重くのしかかるのは関係性においてだけで、多くの事象は経験した瞬間、すべて過去だ。過去は事実であっても現実ではない。♪砕けた夢のかけら、そんなもんどうでもいい、今日はどこで何をやるか、それが問題だぜ。昨日は大雨だった。人生の儚さをみた。夢も未来も生活も思い出も一瞬で大雨が呑みこんだ。世の中はいつだって飛ぶ人間にはやさしい。焼肉の日に鳥をからめると、どうしても鳥貴族を思い出してしまう。焼き鳥に対して、焼肉ってなんなん。焼きぶたてやきとんてなんなん。最近は塩ホルモンにはまっていて、それで生ビールを呑むのが楽しみだ。以前、正の字で数えながら最高で25杯、生中を呑んだことがある。ひとによっては中生と呼ぶ。近々の記録は14杯だ。ミュンヘンに行くと、水みたいにビールを呑むとよくいわれたものだが、ぬかせ。水より早いわ。このまえ呑んだ生ビールはそりゃもうおいしゅうございました。凍えたビールはそれ自体、芸術品だ。それを嗜む自分もまた芸術なのだ。芸術家は今日も空を飛ぶ。果てしなく広がる空で翼をひろげる。かもめのジョナサンは誰よりも高く、だれよりも遠く飛ぶことに専念した。それこそが使命と信じて。そんな感じで今日も飛び立とう。
posted by せつな at 10:15Comment(0)日記