6月15日 朝

あほの朝日新聞がまたやってくれた。朝日新聞のアホの廃止はまだか。14日付けの文化文芸欄で痴呆気味に語っているが、あまりにふざけているのでキーボードを打つ手が腐ってしまいそうだ。出演者の藤岡氏の抗議声明「学術研究だというから協力した。商業映画として一般公開するならインタビューは受けなかった。承諾なく出演させられた」これについて売国サヨクの森達也はこう答える。「映画は論文ではない。公正中立でなければならないというのは思いこみにすぎず、むしろ監督の主張やメッセージが表現されていなければ作品とはいえない」どうですかこの矛盾。じゃあ、最初からそう説明しろ。だまし討ちがサヨクの常套手段であるが、それにしてもひどい。はくちすぎてあたまがどうにかなりそうだ。これがサヨクだ。これが奴らの手法だ。証拠がなければ映画にする国の主張に傾ける耳はない。日本人をなめるな。大和魂の不変性を甘くみるな。これを撮った監督の学習期間はたった三年だ。三年間、ごくろうさまでした。学びなおそう。もっと勉強しよう。せめて20年は費やそう。彼らの証言は戯言と同等の意味を持つ――そのいくつもの過程を知ったうえで、さらなる証言を求めるのならば、そこに真実はない。即刻、上映を中止しろ。ドキュメンタリーという惹句も捨てろ。そして、監督はいさぎよく腹を切れ。朝日新聞はつぶれろ。編集委員、北野隆一のバイアスはとにかくひどい。どうせ団塊世代なのだろうが、この国の再生は団塊世代が息絶えたとき、ようやくはじまるのだろう。被害者と加害者の関係性を考えたとき、救済が必要なのは間違いない。救済は被害者に対してなされるもので、その場合、加害者を見極めることが肝要だ。加害者の大部分は日本人ではない。加害者はコリアンとその仲間たちであり、彼らの国民性であり、多くの籠絡を用い、人さらいしたコリアンだ。戦後、あらゆるレッテルを張り、被害者を冒涜したのも当時のコリアン社会だ。日本国に冒涜のコミュニティはなかった。被害者を差別したのはコリアという国に暮らすコリアンだ。はっきりさせておこう。騙すことが好きなのが彼らの特徴だ。
posted by せつな at 08:33Comment(0)日記