6月30日 午前中

G20サミットが滞りなく終わった。わたしの暮らす地域では一応、今日の午後まで交通規制をかけると告げる立て看板が置かれていて、G20が終わると6月が終わって、今年も半分、過ぎ去ったことになる。G20が終わった。なんといっても主役は安倍首相だろう。日本の総理大臣が安倍首相でよかったと心底おもえる国際会議だった。ユーチューブにあがっているものを一通り昨日から見続けているのだけど、やはりエレガントというか、昨今の日本の総理のなかで匹敵するのは小泉氏ぐらいしか見当たらない。無論、小泉氏よりもはるかにすばらしいし、有能だ。動画はいい。なにがいいかというと、写真よりは事実を見つけやすい。ノーカットならなおのこといい。写真のうそを見破れるからだ。その昔「南京事件を検証する」という題名だったとおもうが、あの事件に関連するものとおもわれる写真を一枚一枚、精査していく内容の本があった、検証結果は圧巻だった。そこに秘められた嘘、そこに隠された事実があぶりだされる過程、学者の目線から紐解かれていくという構図が圧巻だったのだ。たとえば、南京事件のプロパガンダとして、赤子が焼け野原の道端で泣いている写真が使われたことがある。これを当時の国民党は日本軍の残虐さを象徴するものとして国際社会に向けて公表したが、後日、一連の動作を映した動画がみつかる。どこからかおっさんが赤子を抱えてきて道端に置く。それをパシャっと撮ったのがこの写真と露呈したわけだ。こうした例は枚挙にいとまがない。今朝の朝日新聞はさすが反日、妄想、ねつ造、歪曲、中共のスパイとうならせるほど秀逸なものだった。その卒爾の呻きは一枚の写真によってもたらされた。安倍首相と南コリの酋長が握手をしている写真。先のG20の各国リーダーを安倍首相が出迎えるシーンを切り取ったものだ。これもユーチューブにあるので各自、確認が可能だ。6番目に現れた酋長に対する安倍首相の歓迎ぶりは全リーダーに対するなかでもっとも薄いものだった。その次のマクロン大統領のものと見比べれば一目瞭然といえるだろう。いえるだろうが、朝日の手にかかれば、あら、不思議。まるで大歓迎しているようにみえる。いや、大歓迎しているようにしかみえない。たった5秒の隙間からさらに目線が合ったその一瞬を巧妙に切り取った奇跡の一枚といっていい。印象操作もここまでくると、まさに、あっぱれ!チャン氏の声も聴こえてくるというものだ。さておき、晩さん会ではやはり辻井氏の演奏が秀逸だった。だれもがこころのなかに涙の虹をみたことだろう。夕食会は安倍首相の乾杯の発声ではじまった。先に新聞の解説で読んでいたのだけど、エレベーターのくだりはおもったよりすべっていたが、笑顔もちらほらと垣間見えて、ほほえましいものではあった。その後のおなかが空いたくだりでのベトナム首相婦人の笑顔もすてきだった。プーチン氏は日本酒にご満悦のご様子で、携帯のドリンクをメルケル氏に掲げてみせ、トランプ氏はワイングラスでコーラを呑んでいて、トルドー氏はみかけどおり酒飲みではなさそうで、マクロン氏も安倍首相も微笑んでいたし、酋長は別テーブルだった。閉会式も実にみごとで、ムハンマド皇太子の裏の顔も忘れてしまうほどにリーダーたちの多くは威厳に満ちていた。目と鼻の先で世界が繰り広げられた。大阪人の民度に安堵したここ数日だった。ほかには本日、6月30日を以て日本はIWCを脱退する。明日から晴れて商業捕鯨の再開だ。今日で六月が終わる。なんのことはない。明日から7月だ。母が私を生んでくれた日がやってくる。
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6月29日 午前中

西村賢太氏の歪んだ忌日を読み終えて、すぐに東京タワーオカンとボクとときどきオトンを読みはじめた。読もうよもうと思っていた本だが、すっかり忘れていた。たまたま本棚で見つけたので手に取った次第で、すわ出だしから泣きそうになった。ギャップが凄すぎる。北町かんたにのめりこんでいた日がすでに懐かしくかんじる。懐かしくかんじたついでに読後感想。歪んだ忌日は西村賢太氏の短編をまとめたものだが、その一作一作が緻密な構成でもってすきがなく、一気呵成に読ませる筆力は現代文学界においてもはや彼をしてほかにいない気もする。内容は苦役列車まえとあとの物語で、主人公、かんたの現代偶像劇と青春時代をおさめた数編の葛藤や呪詛に甘酸っぱさはかけらもない。あるのは現実と現実の延長線だけであり、じゃあロマンノワールかというと、そうでもなく、ジュブナイルでもクライムでもピカレスクでもない。私小説としかいいようがない。一気呵成に読ませる工夫はその文体にあると著者自身が示唆しているように文体はモチーフに追随するといった某有名作家をあざけわらうかのごとくすべてにおいて西村節が全開で吼えたてている。おそるべし非凡。私小説界においてはまさに比類なきエリートなのだろう。本日、六月29日はビートルズが初来日した日だ。53年前の今日、あの有名なはっぴ姿で四人のアイドルは羽田空港に舞い降りた。ジョンレノンがいたのだ。この世の中に。この世界に。この日本に。おれはビートルズを信じない。晩年のジョンはそのような歌をうたった。結局、ビートルズとはなんだったのか。ストーンズにはなくて、ビートルズにあったもの。クラッシュになくて、ピストルズにあったものと比較すると、なんとなく肌でかんじとれる気もする。概念ではない。気持ちの問題?たぶん違う。絶対的、なにか、の違い。されど、そのなにかは言葉では表現しにくい。ビートルズにあってレノン&マッカートニーになかったもの。さじを投げよう。知る由もない。ただ、北町かんたはビートルズを聴かなかったろうな、と察することはできる。セットオンユーをうたうジョージも好きだった。
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6月28日 朝

タバコをやめたメリットに本屋で立ち読みができるというものがある。昨今の大型書店はどこも椅子やデスクを併設しているので実際は立ち読みでもなく、家でくつろぎながら読むのと変わらない。空調や照明を考えると家より快適かもしれない。それで昨日、長友選手のファットアダプト食事法を読了してきた。ほとんどの新刊本を立ち読みで済ませてしまうのでまこと本屋の敵、出版界の敵ではあるが、多く購入もしている。許してほしい。ファットアダプト食事法とはアスリート、シェフ、ドクターの三者によって完成をみたスタイルであり、これまでの氏の食トレ本の延長線上の理論といえる。読み終わっておもったことはいわずもがな自分の身体は自分の食事がつくっているという純然たる事実で、いかな飛び級もないという真実だ。逆にいえば食生活の改善、あるいは栄養学のさらなる研究を深めることでひとは簡単に変われるということも意味する。つまり、学んだもの勝ちの世界なのだ。長友選手が本格的に食生活を見直すきっかけになったのはジョコビッチ氏の著作「生まれ変わる食事」だったという。当然、発売当初に読んだが、あの本でいちやく世間に広まったのがグルテンフリーとマヌカハニーだったように記憶している。長友選手は長年の実践の結果、このふたつにあまり肯定的な見方をしていないが、ほかにも学ぶべき点は数多くあって、この本を皮切りに食トレ本が乱発した。それ以前のブームでは健康器具メーカーや栄養大学等のダイエット本がほとんどだったが、痩せることそのものが目的ではなく、食を通じて明確な結果を導き出す理論がこの後、主流になった。そうしたなかにあって、あまた乱立する理屈の数々は野菜やフルーツ、肉類に対する見解の相違を論じてみせるのだけど、共通するセオリーは油脂類への認識だった。誰もかれもが油の重要性を説いている。重視性といったほうがいいか。ファットアダプト食事法では油脂類を四つに分けている。すなわち、飽和脂肪酸、オメガ9、オメガ6、オメガ3の四つ。油脂は脂肪酸とグリセリンという分子からできていて、この油脂にコレステロールをあわせて厚労省は脂質と定義づけているが、要は脂質のなかで摂っていいものと悪いものを明確にしましょうというのがファットアダプト法の理論のひとつにあたる。無論、食事法なので野菜やたんぱく質にも言及しているが、長くなるので脂質にしぼる。摂っていい脂の代表がオレイン酸、リノール酸、EPA、DHAなどで、その反対がトランス脂肪酸。トランス脂肪酸の含有を調べる方法は簡単で、たとえば商品の裏面の表記をみたとき、マーガリン、ファットスプレッド、ショートニングの記載があれば、間違いなくトランス脂肪酸が含まれているとみていい。トランス脂肪酸が蓄積すると心筋梗塞を引き起こすといわれている。欧米ではその危険性はもはや常識で最近、日本でも大手パン製造メーカーもようやく重い腰をあげて是正に取り組み始めた。自分の場合、実年齢よりはるかに若くみられることがあるのだけど、これは脂質の摂取法にも一理あるとおもっている。多くのひとは脂に関する認識を変えなければならない。カロリー信仰にまどわされてはいけない。ニーズとウォンツの違いというか、大切なのは体重ではなく、見た目だ。いい油脂を積極的に食に取り入れましょう。ファットアダプト食事法は長友選手がいうように一部アスリートたちだけのものではない。一般人にも十二分に応用が利く。人生100年時代に一石を投じたのかもしれない。
posted by せつな at 08:31Comment(0)日記