4月30日 朝
いよいよ平成がおわる。いろいろな思いを胸に、あらたな時代がはじまる。ゴールデンウィークも今日で四日目ですか。よくわからないまま過ぎ去った日々よ。サクラが散り、ハナミズキが散ったようにどうせすぐに過ぎ去るのだろう。だが、たとえそうだとしても日々に生きた証は必ず世界を変える。それだけは信じることができる。おもえば、産経抄からはじまった。読売の編集手帳。毎日の余禄。日経の春秋。朝日の天声人語。一面の小コラムのような日々の感想を記したくて、ブログをはじめた。最初につくったブログはたしかそうだった。そのころは全紙を読み解き、とくに各社の社説を検証するのに凝っていた。世の中は闇だった。いまでもそうだが、世の中、世界のかたすみではノワールの日常がそこかしこに転がっている。現実だ。暗い現実。目がくらむ現実。現実が重くのしかかる。しかし、重くのしかかる現実は自分のものではない。多くは他人のもので、もっといえば他国のものだ。やるせない感情、いただけない世情、ごめんこうむりたい動向。いたるところに小説の世界があった。自分の視界には映らない現実。それを知らせてくれるのが新聞を中心とするジャーナリズムだった。文字のなかにひそむ悲劇は精神をゆさぶった。そして、自分の無力さをののしった。小さな世界の小さな街の小さな界隈にそんな悲劇はとりあえずなかった。みえなかっただけかもしれないが、たまに露見する存在に慄くぐらいだから――やはり、みえなかったのかもしれない。昨年のノーベル平和賞を受賞したムクウェゲ医師の本が発売され、新聞の紹介欄に載っていた。昨日の毎日新聞の一面と三面にはそうしたコンゴの実情が報らされていて魂の崩壊を改めて感じた。先日、紛争下に起きる性暴力に関する国連決議をシナとロシアは棄権した。日本の周辺国はきちがいだらけだ。世界はバラ色ではない。バラの香りはただよっているが。