1126 午前中
オンナが嫌いな若手女優トップ10というものが発表された。ヤフーニュース。結果に興味はないが、ひとを嫌う理由が何かを改めて思い起こさせてくれた。会ったこともないのに、とか、直接的に被害をこうむったわけでもないのに、とか、の議論。ひとを嫌う理由、そしてその逆の理由など実に単純で明快なものだ。顔が気に入らないはいうにおよばず、目の形が嫌い。耳の産毛が嫌い。まつげの向きが嫌い。などなど。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよくいったもので、いったん嫌いになると根が深い。しかし私は男性である。ここが女畜生との唯一の違いであり、これ以下もこれ以上もない。嫌いになるということは好きになるハードルが極端に下がることも意味する。それが関係性に類する個人的な視点であれば、たとえば男女間であれば恋愛感情に発展するかもしれないし、同性同士であれば友情が芽生えるかもしれない。トランスジェンダーではあるいは両方。個人間ではなく、パブリックな空間で、なぜパブリックを用いたかというと公とか社会では問題がぼやけると思ったからで、パブリックな空間で毎日、ネガティブなあるいはポジティブな情報に接すると正負の心根は日に日に増大していく。そして、現代ではこうした情報に接する機会が格段に増えた。もちろんインターネットの登場によってである。しかるに情報とはその多寡によって切り取りができる点に優位性を見出せる。つまり、情報を忖度して受け取れるということで、問題なのは嘘の情報であれ、真実の情報であれ、インプットするにはさほど差がないという点だ。これを情報の特異性と名づける。毎日のように垂れ流される情報の真偽には受け手の思想があまりに多く影響してしまう。その結果、あまり意味を持たなくなってしまうわけで、ひとは自分の信じたい情報だけを信じる傾向にあるのは哲学派生の昔から真理を言い当てていたということだ。宗教しかり、政治思想しかり、贔屓球団しかり。ひとは現実のすべてが見えているわけではない。多くの人間は見たいとおもう現実しか見ない――ジュリアスシーザー。で、あるからこそ入り口はとても重要となる。無論、この入り口は教育の入り口であり、その教育課程がいかに大切かを社会に出るころには身をもって知ることになる。社会に出るころを明確に記すと選挙権を持つ年齢と定義する。自分の一票が社会を育て社会に奉仕するのだ。結論。物事の好き嫌いには理由がいる。理由には根拠がいる。根拠には客観性が寄与する。