1120 午前中

先日、アフロ田中の上京編を読んでどくだみ荘を思い出した。そういえばどくだみ荘ってあったなあという感じで。こちらも大市民と同様、何度かに分けて連載化されている。主人公ヨシオは絵に描いたようなクズだ。地元岡山からミュージシャンを夢見て上京。デビューにめぐまれず四畳半一間風呂なしトイレ共同キッチン共同のどくだみ荘に暮らし、カネなし、職なし、女なしの貧乏独身生活を送る。ギターは上京後1年で質に流してしまい、以後は日雇い土木作業員で生計を立てている。極度のスケベで趣味は飲酒。酔いつぶれて道端で寝ることも多い。当時、どくだみ荘ほど下品なマンガを見たことがなかった。だが、時代が時代だった。とにかくカネがなくともなぜか食べていける雰囲気が充満しており、カネのために自由を売るのはまっぴらごめんという風潮がそこかしこに跋扈していた。24歳という年齢も絶妙だった。完全に遅すぎて、しかし、あきらめるには早すぎるという誰しもが思い当たる東京物語の現実がそこにあった。読者の共感はまさにこの辺りに集中していた気がする。今朝の毎日新聞に渡辺えりこ氏の読者相談があった。相談者はどこだかの地方都市に住み、とにかくそこが嫌で仕方ないという。上京したいがとくにやりたいことがあるでもなく、どうすればよいかというもの。これに対する渡辺氏の回答は実に単純明快で、若いころは自分の生まれ育った環境が嫌になることがよくある。とりあえず上京してみなさい。東京のいいところも嫌なところもわかるし、故郷を離れることによって親のありがたみや地元の優しさを知ることもあるかもしれない。東京が嫌になれば帰ればいいし、東京でやりたい何かが見つかるかもしれないし、どうやって生計を立てるか悩むのもいい。というようなほぼ全方位に対する回答内容だった。どくだみ荘は作者、福谷たかし氏の実話がベースになった物語だ。氏も16の時に岡山の高校を中退して上京。漫画家を志すもなかなか日の目を見ない。くしくも現在世間を騒がせているボヘミアンラプソディーという同名作品にてデビューを果たす。そういえば作中によくクイーンが登場する。ヨシオはクイーンを夢見て上京したのだっけ?1979年、それまでの自らの半生を漫画化し、作品を持ち込んだところすぐに「独身アパートどくだみ荘」として連載がはじまる。そこからは怒涛の勢いで15年の長きにわたる氏の代表作となる。しかし、連載晩年は作品に悩み、世間とのずれのはざまで酒浸りの毎日を送る。2000年9月、48歳の若さで急逝。たまたま思い出して、ひょっとしたらまだ連載を続けているかもしれないなどと考えていた。現実はこんなものだ。作品の締めくくりは作者なきあと、同志たちの手によって成就した。現在のどくだみ荘。かつてヨシオが暮らしていた部屋に漫画家志望の若者が入居する。ヨシオの幽霊から漫画のアドバイスを受け、見事デビュー。そう、ヨシオはこの部屋でガス中毒でなくなっていたのだった。下品で下劣で不道徳。でもなぜかひとを惹きつけてやまない作品、それがどくだみ荘だった。ふっと思い出したエピソードはヨシオが屋台でコップ酒に唐辛子をいやというほど振りかける場面。それを飲み干したあと、おもむろに駆け出す。これがもっとも安く酔える方法とヨシオは力説するが、これを眺めていた住人のひとりがつぶやく「ふつうに働けばちゃんとしたものが食べれるのに」なぜかこのシーンを鮮明におぼえている。屋台とコップ酒。これも東京のひとこまだ。
posted by せつな at 10:30Comment(0)日記