11月2日 午後

7人のサムライをはじめて観たのは、たしか――ぜんぜん覚えていない。だが、観たことはおぼえている。改めて観ると、これがおもしろい。志村たかし氏演じるかんべいといい、百姓の利吉と与平のコントラストといい、きくちよの掘り下げ方といい、すべてかっちりかみ合って前後半を一気に駆け抜ける。ちなみに台本にざっと目を通した三船氏は配役をまだ聞かされていない段階で「このきくちよというのが僕の役ですね」とずばり言い当てたらしい。「作家の酒」のなかで紹介されていた黒澤組の酒の飲み方に以前からあこがれていた。ひじょうに昭和的で健全であったころの日本のサムライの姿がそこにあった。黒澤組の酒盛りは映画界の神話だったという。氏の自伝「蝦蟇の油 自伝のようなもの」のなかではこうある。「みんな午後になると、一滴も水を飲まずに頑張って、仕事が終わって宿へ帰る途中、四条河原町のビヤホールで一息にビールを大ジョッキで四杯ずつぐらい呑んだ。しかし、夕飯は酒抜きで食べて、一旦解散し、十字に改めて集合合図がかかり、それからウイスキーをがぶがぶ呑むのである。それで、翌日はケロッとして汗みずくの仕事をした――」また、述懐として娘さんである和子氏が語っている。「人様が父のことを質問されるとき、父の映画のことより先にお酒のことを聞かれるぐらい父のお酒好きは有名だった。一番呑んでいたときは三船敏郎さんと二人でウイスキーを三本空にしていた。~中略~ 本人はそういうが、飲んだ量はたいへんなもので、引っ越しをしたときには小さかった酒屋が立て替えて立派になるほど飲んだのからがびっくりする――」映画、7人のサムライを観ると、なるほどな、と頷ける。これは羅生門、用心棒しかり。そういえば、黒澤作品でもっとも好きなのは乱だったな、今更ながら思い出した。シェイクスピアの四大悲劇もリア王が好きだった。作家の酒のなかで三船氏と黒澤氏が京都鴨川でともに花火を見上げながら一献傾ける写真が掲載されている。目の前にある枝豆の量がすごい。こういう酒席があればこそ、映画は隆盛を極めるのだ。同じく昭和の名監督、小津安二郎氏も一升瓶百本空けて一本の脚本が生まれたと語る。7人のサムライを観ると、酒を呑みたくなる。どんぶりにかちわり氷をぶちこみ、どぼどぼと注いだビールを豪快に飲み干したくなる。至福のときだ。
posted by せつな at 12:41Comment(0)日記