10月26日 朝
そのたくさんが愛のなか、が終わった。愛田武氏がなくなった。このふたつの出来事は近頃いよいよ冷たさを増す晩秋の風を感じるに充分だった。直接、お会いしたことはないが、その御高名は西のホストの間にも轟いていた。当時の同僚のひとりはその後、愛本店に入店した。結構、活躍したと伝え聴いたが、今はどこで何をしているのだろうか。昔、愛田観光グループの相続を取り扱ったドキュメンタリーを観た覚えがある。それも何度か。おそらく、そのころよくあったシリーズものの一環だったのだろう。嫡男のほかに突然、現れた婚外子。婚外子のほうがメディア露出は多く、たしか二部の管轄をまかされていた。ホスト業界は二部、つまり、深夜枠こそが花形で、以下、略。まあ、そのころを境にいろいろな形式が増えた。ふたりの息子は仲良くやっていたように思う。しばらくぶりに届くニュースが今回のものだった。個人的にホスト業界とも縁遠くなり、業界の噂話など忘れていた。昨日、その後の愛田氏の隆盛と転落を知った。子供たちが次々に自決し、自身は無一文となった。老人ホームで余生を過ごした。晩年のお写真を拝見して、胸が苦しくなった。そこにはぎらぎらしていた当時の面影は皆無で、口を半分開けた痴呆老人のような姿が収まっている。ボーイズビーアンビシャスで知られるクラーク博士の最後を思い出した。人生で輝いていたのは札幌農学校で過ごした8か月の日々。そう残し、この世を去った。「末期哀れは覚悟の前やで」人間国宝、桂米朝師匠は弟子入りするとき師匠にそういわれたという。落語家を志すなら、たとえ悲惨な最期を遂げたとしてもそれが本望というもの。曲解かもしれないが、自分にはそう届いた。ホストの栄華は短い。水商売で生計を立てるという図式にはある程度の方程式が存在する。この方程式は単純なもので、ほとんどすべての業界に共通している。すなわち、現役で名を馳せ、できるだけ早くオーナーになること。これが第一段階。二店舗目を立ち上げたあたりで、会社化。第二段階。手広く店舗を広げ、多角経営に乗り出す。多くは他分野の飲食店の展開。第三段階。会社を売る。あるいは上場し、株を明け渡す。最終段階。余生を海外で過ごす。ここまでの間に9割が挫折する。挫折とは、別の夢への芽生えも含まれる。すっかり夜の世界がいやになることも含まれる。身体を毀すことも含まれる。赤毛のアン。大学進学をやめて教師になる場面。アンはこう考える。夢の形が変わった、と。これに似ている。華やかな夜の世界。夜にだけ輝くあの瞬間。スーツを選び、ネクタイを合わせるあの刹那。今宵のロマンスを予見させる薄く淡い香水。昼間いくら二日酔いで呻いていたとしても夜になると着飾り、歓楽街へ飛び出す。ちょうどこの季節、夜の冷気が首筋にまとわりつくあの時間。悪くはなかった。しかし、夢のかたちが変わった。変わってよかったとおもう。そのたくさんが愛のなか、最終話でグレートGが登場した。セリフがいちいち胸に突き刺さった。最後は5人それぞれの人生が描かれた。56歳、やがて行く道。17歳、いつか来た道。輝いたときが一瞬でもあればいい。それを支えに生きていける。人生なんて絵空事。日々の幸せを忘れてはいけない――みたび自覚した。1時間ギター弾いて、1時間文章、書いて、次は1時間かけて掃除。