10月10日 午前中
世間は築地やら豊洲やらと騒いでいるが、そのいっぽうで日本の食文化のいっそうの破壊が進んでいることはあまり報じられない。なんか文章が変なのだけれど、寝ていないこともあり、面倒なのでこのまま進める。日本の食を彩る捕鯨。先のIWC総会の総括が永田町の自民党本部で行われた。総会に実際に出席した自民捕鯨対策委員会委員長である浜田氏は以下の見解を述べた。「結果は想像通りだった。『商業捕鯨』という言葉だけですべてが否定されるので、もう何かを合意できるような場ではない。この会に正当性はあるのか、脱退を含めて考えるべきだ~長年の状況から結果が分かっているうえ、総会が終わってすでに2週間がたっているのに政府はまだ方向性を示していないことが不満だ。もっと建設的な話をするつもりで開いたが、これでは会を開いた意味がない~今後、外務省の取り組みが重要になる」 浜田氏の不満はもっともなところで、この感触は日本人の矍鑠たる思いにも通ずる。夏の肴におばけを欠かさない自分などは鯨と聞くだけで酒を呑みたくなる。赤み薄く削ぎ切りショウガを添えて膳に並べる。もうこれだけで一升は呑める。長年、日本の食卓に欠かせなかった味覚の一端が欧米人の高慢ちきで横暴で居丈高で狡猾で高圧的な振る舞いによって絶滅しかけている。絶滅すべきは白人どもと思い知るべきだが、しかし、この論争は南コリ論争と同様で正論は通用しない。正論によって相手を言い含めることはもはや不可能と悟ろう。これは会合ではない。宗教なのだ。脱退を含めて、とあるが、答えは脱退にしか、ない。鯨はダメで牛やブタならいいとする論法は彼らの嫌うナチスドイツの選民思想でしかない。改めていう。これは宗教なのだ。九条教をはじめとする過激思想と似た教団だ。教団には日教組教という教えもあり、これは最近、吹田市の信者が中学生教師をよそおって布教活動にはげんでいる。宗教を相手にするとき、理論武装したところで詮無い。力でねじふせなければ邪教はふせげない。叩き潰せ。ひねりつぶせ。打ち砕け。ぼっこぼこにやってまえ。