10月9日 朝

老兵はただ消え去るのみ。そういって表舞台から姿を消したマッカーサーだったが、その去り際は見事なものだった。男ならこうありたい。あとは社会の片隅でひっそりひそかに暮らせばいい。晩年、左巻きグループからたびたび神輿に担ぎ上げられることの多かった菅原文太氏の姿にコメントを求められた津川雅彦氏は以下のように答えた。「齢をとると表舞台が恋しくなる。注目を浴び続けた過去を持つスターならなおさらだろう」かようなことだったと記憶している。津川雅彦氏の最後も見事としかいいようがない。真の国民的スター渥美清氏は撮影所近くの通いなれた中華料理屋に「今までお世話になりました」と自らの終わりを知らせるような色紙を残している。銀幕を離れればただの一般人として最後までジャーナリズムにしゃしゃり出ることはなかった。思い浮かべれば、すぐれた偉人というものはその生涯を現役でつらぬくか、引退後の余生を訃報で知らせるかの二通りにわかれる。若い時分にいくら優秀な成績を収め、輝かしい過去を持っていたとしても晩節を汚してしまえば、その印象のほうに触れる世代が主役の世の中だ。竹原ピストル氏の名曲オールドルーキーにこのような歌詞がある。「積み上げてきたもので勝負しても勝てねえよ、積み上げてきたものと勝負しなきゃ勝てねえよ」とかくひとは勘違いしやすい。ときにはその勘違いが功を奏すこともあるので、一概にはいえないが、ただひとつ確実にいえることはある。老害と銘打たれた人間の勘違いほど見苦しいものはない。かつて名宰相と謳われた小泉氏だが、最近の発言は安倍首相に対する嫉妬としかおもえない。ひとことでいえば過去のひと。現役から退けばあとは現役に任せるしかない。助言を求められてもいないのに言葉をかけようとする。また、こういった人物の発言をことさら持ち上げて強調するメディアのやり方は先の菅原氏と同じ構造だ。ゴッドファーザーの最後がふいによぎった。マーロンブランド演じるヴィトーコルレオーネの最後。老兵はただ消え去るのみ。
posted by せつな at 08:07Comment(0)日記