10月8日 朝
今期のゲゲゲの鬼太郎がおもしろいと話題だが、たしかに今までとは色合いがちがう。されど、一貫して怪異と人間社会の交錯という視点は変わらず、作品の通奏低音を彩成す。よくできていると思うのは、その関わり具合で、ときに鬼太郎が狂言回しのような存在となり物語が進んでいく回もある。思い起こせば、それぞれの季節にそれぞれの陽射しがあるように鬼太郎はその時代のスポットライトを反映してきた。そして、バブル崩壊後から今にいたるまで日本を渦巻く社会現象は有象無象の強風にあおられるように各地を吹き荒れた。2018年現在の日本。そして、世界。テーマはそれこそ千差万別で、いじめ、パワハラ、孤立、共依存、異文化との共存、伝統の風化、欲望、羨望、美意識と多岐にわたっているが、そのすべては現代社会の病巣ともいえ、物語の進行とうまく融合させている。特に昨日のテーマはこれからの日本を考えるうえで重要な議案であり、切実でもある。外国人とどう交わるか。関わるか。対するか。この主題はツリー表示のスレッドで、外国人は欧米、アジア、北米、中南米、アフリカなどに枝分かれし、アジアだけでも北東アジア、中央アジア、東南アジア、中東にわかれる。たとえばインド人のなかに格差が存在する。格差の上位に位置する訪日インド人と下位に属するインド人では当然、意識格差も生じるだろう。意識格差の大まかを価値観と表現するのであれば、それを個性と捉えるか、異文化と切り捨てるかで印象も対応も異なる。では、なぜこうした議論が尽くされてこなかったか。観光立国を目指すと政府が明確に指標を定めたのち、多くの日本人は気づいた。日本という国家システムが外国人を受け入れるシステムにないことに気づいたのだ。すなわち、観光と移住の紙一重の概念の差に熟知していなかったため、とまどいを見せはじめたのが昨今の日本社会であって、これが「批判は偏見」に「ルール作りは差別」と圧力団体の主張が増長してきた背景にある。良くも悪くも控えめであったのが日本人で、日本社会の有り様だった。こうした有り様はさらなる激変をとげるはずだ。