ガンバ5連勝。大阪ダービーを制した。残り五試合、もちろん油断できないが、とりあえずこれで降格圏内からは脱したと思っていいだろうか。鑑みれば、昨年のこの時期、長谷川監督に向けられたブーイングを同じ会場のなかで聞いていた。虚しい思いというか、あの5年間こそが自分にとってのガンバだった。最後の最後、ブーイングで終わったホーム最終戦。この年、観に行った試合はすべて負けた。何も盛り上がることなく、何も興奮することなく、どちらかといえばその後の風呂と呑みのほうが楽しかった。もう一度j2に落ちるのだろうか、そこからまた這い上がるのだろうか、聞いたことのないようなチームが吹スタにやってくるのだろうか。さまざまなシチュエーションを想像したクルピ体制のここ数か月だった。昨日はテレビだったが、ひさしぶりに聞いたガンバチャントに勇気をもらった。「戦士たちよ、おれらの声が聴こえるだろう、俺らはいつものように今日もここにいるよ」世の中うっとうしいことだらけだが、サッカーをはじめとするライブのときだけはすべてが消し飛ぶ。これは以前にも書いた。似たようなことをヒロト氏もいっていたけれど、普段は政治や経済、世の憂いごとに一喜一憂する自分がいる。関心がないわけではない。やはり社会人として世間の動向は気になる。株価が下がれば憂鬱にもなるし、世界のどこかで紛争があれば胸も痛む。されど、何かひとつのことに夢中になっている瞬間、その瞬間だけは自分ひとりのものであり、誰もそこに介入することはできない。それがたとえ群集のなかにあっても、その瞬間は自分だけしか存在しない。そういった瞬間をあとどれぐらい持てるか。人生において重要なテーマだ。話はとたんに変わるのだけど、近所の本屋をいつものように散策していると、クライングフリーマンが雑誌になっていた。おもわず懐かしくて手に取った。今、読んでも圧倒的というか、息を呑む画力というか、芸術的というか、写実的というか、見事というか、驚異的で、精緻で、明媚で、絶佳で、華麗で、秀麗で、あ、というまに作品に惹きこまれた。柳沢きみお氏が大市民のなかで池上遼一風を挿入しているが、たしかにはまる。あの造形美は。自分の知るうる限り、匹敵する漫画家をふたり挙げるとすれば、谷口ジロー氏と土田世紀氏だ。ふたりともいなくなってしまったが、ふたりの代表する漫画は今も本棚にある。捨てることはない。当時、クライングフリーマンの次に読んだのはサンクチュアリだった。クールな主人公という共通点のほかに裏の世界の暗躍感が魅力的だった。