10月6日 朝
真の敵性国家はどこか。今回の旭日旗をめぐる一連の流れをみて確信した。朝鮮半島と書いて非常識と読むのは全世界の共通理念だが、今やそのレベルにない。もともとがご都合主義の市民感情に言及することはないが、国家を代表するはずの南コリ議員のこの件への対応を垣間見て、もう無理だと悟った。このような無知で無礼で反模範的な議員が所属する国が地球上に存在するという事実を全世界は認識しなければならない。そして、かような国家には圧力をかけるべきだろう。それだけではない。日本人ならば尊崇の念を以て旭日旗を扱うのは当然として、どのような思想の国家であれ、他国旗への侮辱は許されるものではない。旭日旗は自衛艦旗というだけでなく、我が国の準国旗でもある。それを引き裂き燃やすというかの国の伝統のようなパフォーマンスをみて不快におもわない日本人はいない。今般の不参加を経て、日本との関係悪化を望まないと回答する関係者もいるようだが、悪化という偏移ではなく、日本側からすれば、さらなる認識が深まったというほうが正しい。この出来事は南コリの稚拙な市民意識を示す好例として歴史に追加される。1998年、2008年の同様の行事でも旭日旗を掲げ参加したが問題視はまったくされていない。にも関わらずなぜか2018年に掲揚自粛を要請してきた。この事実は教育と洗脳をはき違えて育った意識形成の要請でもある。この意識のまま推移していけば、冗談ではなく、何年後かには戦争もありうるだろう。重要なのは日本側からけしかけるわけではないという点で、難しいロジックのようだが、紐解けば単純で過去に学べる。前大統領に対する制裁、現大統領の夢物語政策。これらを鑑みても歯止めをかけるべき政治の成熟は期待できないだろう。日本人として注視すべきはここだ。とどのつまり、先の悪化とはヘルチョソンのいっそうの悪化であり、関係の悪化とみるべきではないということだ。関係の悪化が戦争を生むわけではない。無頼漢的に表現すれば、敵性国家とはいえ、音が鳴らなければ済む。問題は音を鳴らす暴発であり、暴発にはその語源のとおり、知性も度胸もいらない。シナが利で動くのに対し、コリアは情緒で動くというが、この傾向がこの先、どう作用するか。確信の行きつく先が油断や許容であってはならない。確信の先こそ虚心坦懐であれ。