10月4日 朝
以前、保守と革新に関する比率の話題があった。対談だったと記憶しているが、ネットに吹き荒れる係争のうち7割が保守系、3割が革新系という印象をいっぽうは持っていた。それに対し受け手であるもう片方はその見方はひじょうに正しいが、現実のクオンティティは9対1ぐらいだとおもう、と論じた。1割の革新系が声を張り上げ3割の力に押し上げているとみるべき。という。なるほど。ちなみにこの両者はともに革新系と呼ばれる範疇に属する知識人だ。朝日出版から著作も出している。左派系論客の言い分に普段、あまり頷くことはないが、この意見は素直に受け入れられた。なぜなら、同様の考えをずっと持っていたからだ。おそらくこの所感は世間一般に広く浸透していて、選挙結果や社民党の支持率などを鑑みても自明の理といえる。一時期を境にこうしたノイジーマイノリティと呼ばれる連中がネットのいたるところで議論を破壊するような活動をはじめた。一部のメディアが保守系の辯論に対し、組織的とラベリングした時期もあったけれど、多くの市民は比較的冷静に分析し、こうした誘導に昨今は惑わされなくなった。冷静な分析とはどちらかというと劣勢であり少数である革新系が組織だった反駁をみせているだけで、保守系の多くを個性とみているということだ。その個性は浮動票と呼ばれる一票で、この一票が選挙の趨勢を左右してきた昨今でもある。まあ、だいたいこの見方が多数派の一般論に通ずるところであり、別段、穿った見方ともいえない。重要なのは保守系が9に対して革新系が1とするネット論争の解析図を左派系論陣が出したということだ。いかな矛盾をついても真相に肉薄してものらりくらりと交わし、次の日には忘れてきた自称リベラルを数多くみてきた。そのなかには現役の国会議員もいる。息を吐くように嘘をついてきたあるひとは最近、左派系雑誌の編集長だかに就任した。彼らは真実の探求のためではなく、闘う相手を変えないという理由だけで、論争をしかける。よってそこには不合理の影が現れる。影は暗闇をつくり正論を覆う。憎むべきは国家であり強者であり目障りな事実であることを似た者同士お互いに認識する。1の声が3に膨れ上がる構造がこうしたところから見て取れる。