10月2日 朝
今年のノーベル医学生理学賞で日本人が受賞した。すばらしい。実際にオプジーボを使ってがん治療をした男性がテレビインタビューに答えていた。「もしこの薬がなかったら自分はこの世に存在していない。子供の成長をまだみることができる。本庶先生は命の恩人です」発明とはいかに感動的なものか。切れない電球、言葉を瞬時に伝える通信技術、空を駆ける銀色の機体。人類は多くの発明によって発展し、その種の存続を果たしてきた。必要なのは希望だ。そして、光だ。日本人の人類への貢献を心からお祝い申し上げる。昨日の天下一品祭りの日。朝10時にジムに出かけ、ルーティンをこなした。シャワーを浴び、シーズンオフで買い込んだサーフパンツにサーフシャツといういで立ち、および完ぺきな体調で11時前に出かけた。無論、客足はいつもの数倍だったが、おもいのほか、混んでいなかった。待つことなく店内へ。久しぶりに食したこってりはやはり胃にずしんときた。今朝の記憶では結局、酒のあてで梅の醤油漬け2個、らっきょう一粒、ハマチの漬けとアボカドとたまねぎの和えものにて酒席が終わった。焼酎をがぶ飲みしたが焼酎しか呑んでいないので二日酔い感はさほどない。今日も元気にはじめようとおもう。それにしてもこってりとはよくいったもので、ラーメンを食べにいこうではなく、天一へ行こうという合言葉は言いえて妙だ。スープを飲み干すのではない。スープをかき集めるのが天一だ。いつかあのラーメンを自宅で再現しようともう数年たつが、いつか、は永遠にこない魔法の言葉。こちらもよくいったものでいまだ再現におよぶ気配はない。豚骨ではなく鶏ガラを煮詰める手法はネットではや解明されているが、あのこってり感、まったり感、べっとり感を出すには技術がいりそうだ。神座のラーメンは比較的容易に近づくことはできるが、天一は材料そのものの工夫がいる。もちろん、神座にしても近づけるだけであの門外不出の味を追求するには修業にでなければ話にならないだろう。ただ、鍋料理を好む諸兄には白菜、鳥団子、豚肉、ねぎ、にらの応用で、お、と思うはずだ。これにキムチを加えれば、というか、キムチでごまかせば神座になる。いつか、天一にもたどりつこう。