10月19日 朝

遅ればせながらウルグアイ戦を観た。壮絶な打ち合いとスピードと仕掛けの連続。これで魅了されないわけがない。際立ったのはやはり中島しょうやの存在感だ。今更ながら先のワールドカップで呼ばれなかったことが悔やまれる。新10番の活躍が今後の代表を左右するといっても過言ではないかもしれない。そのほかの着目点として、会場が超満員だったこと、視聴率がよかったことの二点が挙げられる。特に会場の入りは重要だ。代表の試合で埋まらなかったのを見たことはないが、それでも今回の会場の一体感には迫力をおぼえた。場所は埼玉スタジアム。くしくもその翌日、同じ埼玉、こちらはスーパーアリーナでコンサートを中止した歌手がいる。沢田ケンジ氏だ。説明によると、単に会場がスカスカだったからだという。客席は可動式で1万人から最大で3万7000千人まで収容が可能。開演前にイベンターから集客状況を9000人と聞いていたが、実際は7000千人ほどで、リハーサル時に客席がつぶされているブロックが目立ったことに腹を立てたという。この経緯について、じっくり詳細を眺めていると、男気というか、本物のスターの意識が感じられ、好感をおぼえた。正直、70歳で7000人の集客というのも大したものだと思うが、イベンターに土下座で懇願されても最後まで首を縦に振らなかった態度はすごい。「ライブをやるならいっぱいにしてくれ。無理なら断ってくれ。僕にも意地がある」キャパ150人程度のライブハウスでバースデーを祝う往年のスターだらけの現状で7000人を足蹴にできる。違約金や派生金を考えたらおそらく多くのスターはいやいやでもやるだろうところを断る。本物のバカをみた。だが、本物はいいものだ。男ならこうありたい。コンサートの集客について、以前、こち亀で詳しく知った。こういうからくりがあるのか。たとえば、前売りが一瞬でソールドアウトになる仕組み。ファンクラブ会員や過去のデータからある程度、客数は把握できる。これを踏まえて予測より少なく発売する。売り切れたのち、追加チケットを発行する手法。これは常套手段で、先の会場を可動式にする理由もこれに準じている。埋まらなければ障害物を置いてそこはライトが当たらないようにする。客側からしてみれば視線のほぼすべてはアーティストに注がれているわけで、オオバコであればあるほどそこまでは気にならない。だが、演者側からしてみれば、気分に相当のムラがでることはわかる。やってみれば、わかる。客なんか関係ない、と強がってみても客がいなければ、これは映画みんなの家から表現を拝借すると「アーティストは作品が売れなければただの変人だ」ということになる。つまり、客あればこそのアーティストともいえるわけだ。日々ロックのいちシーンで無観客ライブをやり続ける主人公がいつしか客の大切さを身を以て知る。何度もいう。お客さんあればこそ。地下アイドルってあらためてすごいなと感心する。人気皆無で誰にもまったく相手にされなくても毎日しつこく生配信するpunk歌手にも感心する。
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10月18日 朝

そのたくさんが愛のなかが最終回を迎える。あ、というまの40話だった。サラリーマン拝が予想よりずいぶん早く終わったので、はじまった当初はこの大型連載のためだったのかと合点もいったが、拝より短かった。結局、権田はなんだったのか。よくわからないまま終わりそうだ。作者の吉田聡氏のツイッターをみるとその左巻き加減は容易にくみとることができる。氏のすぐれたところはそういった思想を作中には決して漂わせないところだ。この手法は京極夏彦氏なども持ち合わせている特異なもので、ひじょうに抑制的である。雁屋哲氏、うえやまとち氏などグルメ漫画家が作中に思想を持ち出すととたんに萎える。どんな思想を持っていてもいいが作品を彩る通奏低音はあくまで不穏であってはならない。そういう意味では芸能の分野はひとしくこれに尽きる。沢田けんじ氏がコンサート会場で原発反対の署名を実施しようとしたとして会場貸与拒否の憂き目にあったというし(誤報)亡国のガキタレは原爆きのこ雲のtシャツを着て批判を浴びているという。どこもかしこもはくちだらけだ。主張は扇動であってはならない。清き一票がすべてだ。
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10月17日 朝

サッカーがはじまる前に寝てしまった。何たる不覚。何たる不運。しかも4対3という劇的なスコア。野球ならルーズベルトゲームだ。南米の強豪ウルグアイを相手に勝利を収めるという小躍りしたくなるようなゲームを見逃した理由は、そう、酒と睡眠不足だ。いつもこれだ。わかっちゃいるけどやめられない。すいすいすーだらだったすらすらすいすいすいすーいすいすだらだったすらすらすいすいすいすーいすりすーだらだったすらすらすいすいすいすーいすーいすーだらたったすらすらすいすいすいすいいすーいすーいすだらだったすーだらだったすいすい。新生ジャパン負けなし絶好調を横目にかつての王者ドイツが絶不調に落ち込んでいる。フランスに負け、これで公式戦4試合勝利なし。国情も暗く沈んでいるし、今朝の陽射しのように没落の斜陽といったところか。そういえば、昨日、昼食時に何気なくテレビを観ていたのだけど、太宰を取り上げていた。太宰が甥っ子にいった言葉が身に染みた。教養というのは学識を指すのではない。他人の苦難に敏感なひとこそを教養人という。この考え方はすべての人間にとってプラスに作用するはずだ。情けはひとのためならず。この言葉の本意を多くのひとがはき違えているという調査結果をかつて何かで見知ったが「情けはそのひとのためにならない。突き放す非情さこそが必要」こう解釈するひとが多かった。先の三田佳子氏の次男覚せい剤事件などをみると、まさに当てはまる。しかし、本意は袖振り合うも多生の縁に近く、ひとにかけた情けはめぐりめぐって自分に帰ってくるというものだ。落語の唐茄子屋政談の下げにこの言葉が使われているのをふいに思い出した。武士の情け。女は武士ではないのでこれがない。あいつ嫌い、嫌い、大嫌い。あいつ嫌いだけど優秀だよな、くやしいけど認めざるを得ないな。この違いだろうか。先の、女は武士ではないので――の部分は柳沢きみお氏の言葉だ。追記。本日、なんばスカイオがオープンする。すぐ近くに住んでいたので感慨深い。青春が終わって人生がはじまった感じ。
posted by せつな at 07:59Comment(0)日記