1月31日 朝

コインチェック騒動の詳細が日経新聞に載っていたので振り返ってみる。まず最初に自分はビットコイン投資を一切していないので痛くも痒くもないことを前提に付しておく。多少、辛らつになるかもしれないが、それはあくまで自身に被害が及んでいないからという理由で理解していただきたい。日本最大手のビットコイン取引所であるコインチェック。その主要取引通貨であるネム580億円分が流出した。時系列を確認しておくと、流出は26日午前0時すぎからはじまった。最初の流出が午前0時2分。コインチェックの口座から10xem(当時のレートで1100円)が別の仮想通貨口座に移った。これはネムを実際に引き出すことができるか確認するテストとみられる。そのあと0時21分まで数回にわたり約576億円分のネムがこの口座に移動した。実にたった20分で被害総額のほぼすべてが奪われたということになる。最終的に午前3時、4時、8時に残り4億円が流出し完了。問題は山積するが本質は2点ある。一つ目はなぜこうも簡単にセキュリティが破られたか。これについては以前からも指摘されていた。ネットワークという性質上、取引所とはとどのつまりシステムを構築するサーバーのことを指す。ざっくりいうと、そのサーバーに侵入することで目的のほとんどは達成されるといっていい。そうすると通常の倫理観を持ったおとなだけではなく、いちじるしく倫理観の欠如した天才子供ハッカーなども犯罪の加担者となりうる。ちょっと前にもウイルスを作成し流布した子供がつかまったが、その動機は自分の能力を試したかった等の答えと記憶している。倫理観の欠如とは、たとえば家庭崩壊とか逮捕実刑とか前科とか信頼とか将来設計とか社会的制裁とかそういったストッパーのない状態のことで、法律の力学がまったく及ばない状態のことを指す。自爆テロの代償に死刑が無意味なように、カネの魔力に取り憑かれたおとなよりも、こういった天才子供ハッカーのほうがより手ごわいように思える。されど、重大なのは二つ目。コインチェック社の発表によると、異変に気づいたのは午前11時25分ごろ。つまり、最初の流出から11時間以上かかったということになる。正直、アホかと。流出させた口座の持ち主はネムを最初の口座から9つの別口座に分散して移動させている。同日の夕方までに同社は取引通貨の売買停止に踏み切り、その夜に緊急記者会見が行われた。記者会見中である午後11時42分にも30万xemが口座間を移動したという。記者会見で同社は、大きく残高が減ると警告がでるようにしていたと説明するも、事態全体を俯瞰すれば、運用体制は穴だらけだったということになる。詳細は現在調査中。ユーザーにとって幸いなことは、奪われたネムがネットワーク上のどこにあるかは把握しており、流出の全体図は認識しているという点。ネムはその後、動きがない。移動した口座は他のプログラマーやネム財団が監視中とあるが、いまだハッカーの正体は不明。日本国内か、外国かもわかっていない。同社はこのハッカーに対し、ネムの返還を求める考えを示している――ざっとだが、これが一連の流れ。コインチェック社に関してはほかにも豊田商事事件を髣髴とさせる別の疑惑が生まれている。実際にコインチェック社の社長はボディガードを雇い入れたというニュースも流れている。チューリップバブルか、ブラックマンデーか忘れたが、ある証券マンだったか、が靴をみがいてもらっているとき、その靴磨きの少年が株の話をしはじめた。そのとき天井を悟ったという。出川氏のCMが茶の間に流れたとき、多くの投機家は天井を悟った。過熱感はずいぶん前から報じられていたし、実際にビットコイン長者の話題に事欠く日はなかった。この時期に投機を勧めた人間の罪は深い。銭湯にいったときカメレオンを読んだのだけど、こんなセリフが出てきた。「志願者を樹海に送り届けるようなもんだぞ鬼かおめーは」鬼かおめーは。出金再開の予定について、コインチェック社の発表を記しておく。「数日中にも見通しをお知らせいたしますため、今しばらくお待ちくださいますようお願い申し上げます」今しばらく注視しよう。
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1月30日 朝

東京の一極集中化が止まらない。昨日の日経新聞に人口減市町村についての記事が載っていた。2017年10月から11月にかけて日経リサーチが実施した調査。15年の国勢調査の人口が10年に比べて10パーセント以上減少した220市町村に対してアンケートを実施し175市町村から回答を得たという。小売店の閉鎖で日常生活に支障をきたしている地域があるかの問いに、あるが41パーセント。現在はないが近い将来に支障をきたす可能性が高いが29パーセント。ほぼ予想通りの結果だが、こうしたアンケートの分母は今後も増していく。そして、分子の増加もこのままでは連動するだけだろう。調査には東京都の自治体も含まれている。東京の人口は膨れ上がるばかりだが、都内の唯一の村である檜原村はそうした状況とは無縁だ。人口減の影響ですでに村民の生活には支障がでており、その対策として第三セクターがスーパーの運営をはじめた。以前は村内に50店舗あった小売店が10店舗にまで減り買い物難民対策は可及的課題だった。自治体はコンビニ各社に出店を要請するも採算面を理由に断られる。そこで地元農協やバス会社などが出資した三セクを設立し食品スーパーをはじめたという。今まで三セクといえば赤字体質が基本で採算を度外視したものが多かった。檜原村が設立した三セク、めるかはそうした体質を打破するように村内の事業を多角化し安定的に収益を確保しようとしている。こうした事例は実は80年代から予見されていた。誰もが現実と未来を重ね合わせずに生きてきたツケがいたるところで噴出しはじめている。檜原村のこういった取り組みは他の自治体に一石を投じることになる。今後、人口減で日本に起こる宿命としてもっとも喫緊の問題は団塊ジュニアのリタイアだろう。それが2040年。2050年にはそれが後期高齢化する。団塊世代がいっせいにリタイアを迎える2007年問題が世の中を賑わせたがそれを支える層として団塊ジュニアの存在があった。団塊ジュニアを支える層はこの国にはもういない。2053年には1億人を割り込むともいわれている。東京一極集中化の潮流はもしかするとこの国をモンゴルに変えてしまうのかもしれない。そういえば健康寿命に関する記事もあった。1位は滋賀県。最下位は青森。下位の顔ぶれをみると、塩分過多と飲酒過多といったところか。人生100年時代。よくも悪くもこの国は団塊ジュニアとともに年を重ねていくのだろう。
posted by せつな at 06:58Comment(0)日記

1月29日 朝

2週連続で朝からゆかいの湯に行ってきた。もしかすると雪見風呂が楽しめるのではないかと期待させる天候で、午後から運よく雪が舞いはじめた。雪見風呂は通常の露天風呂よりも3割増しぐらいでお得感が増す。寝屋川店は周りに高い建物もなく湯船を覆う屋根も小さい。そのおかげで開放感があり視界も広く、湯に寝転がって上空を眺めると自然と一体化したような心持ちの浮遊感が得られる。雪を見ながら、あるいは感じながら、熱い湯に漬かるのは格別だ。結局、8時間近くを過ごした。これだけ滞在すると、当然、おなかが空く。館内に食事処は一箇所。別に並列する焼肉店だけは途中外出で利用することができる。自分は食事処を利用した。何気に周りを見渡すと、ほとんどのひとがおにぎりを注文していた。のりで全体を覆う三角型タイプでこれが280円。生ビールを呑んでいるひとのかたわらにも枝豆とともにおにぎりがある。こうした光景は日本ならではのものだ。日本人のおにぎりに対する認識は今も昔もさほど変わりなくもっとも身近で手軽なファストフードではないだろうか。生まれて最初に口にするファストフードかもしれない。勝手な憶測だが、日本人のソウルフードをひとつ挙げるならば、それはおにぎりかもしれない。米食文化の国は数あれど、塩をつけたコメの飯を固め、それだけで、もしくはノリを巻き、口いっぱいにほお張る幸せを知っている国はさほど多くない。中華料理では冷えた飯を炒めるが、日本人は固く結ぶ。日本人の特筆すべき食文化の好例ともいえる。日本人の米の飯への執着はおそらく外国人に想像できない。当の日本人の多くも指摘されなければ気づけない奥深さがある。歴史を紐解けば、日本人の概念の根元にはいつだってコメがあった。給料もコメ、税金もコメ、主食もコメ、嗜好品もコメ、資産もコメ、全世界で最初の先物取引も堂島のコメ相場、夏祭りもコメ、秋祭りもコメ、日本の家庭に必ずある炊飯ジャー。昨日の朝、おにぎりで革命を起こせと称した番組を観た。秋田で農業を営む鈴木貴之氏は自分で育てた米でつくるおにぎり専門店を次々にオープンさせ注目を集めている。鈴木氏が秋田で立ち上げた農業法人ライスボールの従業員の平均年齢は38歳。いっぽう、ほかの農家のほとんどが今や70代。減反廃止と高齢化。ベテラン農家の佐藤氏もまたそのひとりで、地域の相談役のような存在だった。どこもかしこも跡取りがなく高齢化の波に翻弄されている。そうしたなか、佐藤氏はライスボールの取り組みを知る。鈴木氏の存在は減反廃止で不安を抱える農家たちにとって大きな希望になる――そう判断した佐藤氏は惜しみなく協力の手を差し伸べる。佐藤氏は番組のなかでいう。これからは農地を持っているひとと、つくるひとが異なっていい。それが時代の流れである、と。このひとことは実はとても大きい。昨今のアベノミクス景気の作用を受けて就職率は回復傾向にあるが、いまだ巷間の就職状況は厳しいものがある。以前も6次産業の現状を取り上げたが、若年層の意識も変化し、以前は当たり前のように敬遠されていた1次産業への回帰もこうした層が下支えする状況が各地で生まれている。現在ある就職口の多くはAIに奪われるという認識の浸透もある種、寄与した形で、いち早く気づいた一部の層の活躍に追随する層が現れはじめたというのが現況といえる。佐藤氏の考え方はこうした若年層の希望に合致する。そして、その希望は佐藤氏の希望にもつながり、消費者への利益にもつながる。まさに三方よしといった未来像が浮かび上がる。これに水を差すのが昨今の日本人のコメ離れだ。ここ数年は右肩下がりに減少し、くしくも50年ぶりの政策転換を迎える近況、1960年代と比較して半分以下の水準という。どうしてここまでコメを食べなくなったのか、アトキンソン式ダイエットという誤った認識の流布、炭水化物は太るという一辺倒で偏ったスイーツ脳の伝播、パン、パスタといったスイーツ脳の蔓延、日本酒よりワインを選ぶスイーツ脳の拡散、ごはんを食べないスイーツ脳の波及、主食の割合の変化、パンは簡単でごはんは面倒といった風潮、小麦は脳に悪影響を与えると小麦文化で育ったジョコビッチですら認める小麦加工品の食害の注意喚起不足、シリコンバレー式食事でも明らかになった小麦食品の弊害を伝えない大手媒体、数多くの因子が日本人の米離れを促進した。何週間かまえのゴルゴサーティーンに給食のパンについての言及があった。戦勝国米国の植民地政策の一環で小麦を日本に売り込むためにパン食を普及させたというさいとう氏の見解に疑念の余地はみじんもない。最近、この流れは徐々に変化しつつある。ごはん食の普及を推進する学校も多いと聞く。ごはん食に関する誤った認識は数え切れないが、そもそも日本人とは何なのか、祭事とは何か、五穀豊穣の意味を今以てもう一度、問い直す教育が子供だけではなく、おとなにも必要と感じる。ある年代以上の日本人は白いコメに並々ならぬ憧憬の心緒を持つ。白ごはんの上位を銀シャリと呼び崇め奉る世代。個人的にはそこまでの思い入れはない。自宅では玄米を食している。玄米食に変えてから、もうそろそろ10年になる。されど、おコメに対する信頼と愛情は何の気なしに白ごはんを食べていたころより深い。主食はコメ。これだけは譲れない。
posted by せつな at 08:23Comment(0)日記