12月21日 朝

人間は哀しい。といって人間をやめるわけにはいかない。今週分のフルーツ宅配便が哀しくて哀しくて。「お酒のおかげてずいぶん救われてる気がする」「みんなそうですよ」何気ない会話がぐっと胸にせまる。お酒もそうだけど、芸術の多くはひとを慰めるためにある。それは年を取ればもっと如実に顕れる気がする。教養があればひとは芸術に救いを求め、教養がなければ宗教に向かう。思えば、芸術、特に歌に救われてきた気がする。先の作品を読んでいる最中、ふっとブルーハーツの歌詞が浮かんだ。「ほんとの瞬間はいつも死ぬほどこわいものだから、逃げ出したくなったことは今まで何度でもあった」これに続くアンサーは自分のなかでいつも決まってクレイジーケンバンドだ。「やればできるよ、できるよやれば、やるしかないのだから、やらなきゃダメですよ」びくびくしながら、どきどきしながら、それでもなんとか立ち向かう。日々はそれの繰り返しだ。結果、いつのまにか怖いものがほとんどなくなった。もちろん、緊張はある。不安もある。ネガティブに落ち込む日だってなくはない。それでも歩むことをやめない。否が応でも立ち止まる日がくるのだからその日までは前進を続ける。そう思えるのもきっと歌の力のおかげだと思う。昨日はえいちゃんのイッツアップトゥユーをひさしぶりに聴いた。タイセー作詞の名曲。昨年か一昨年の紅白で歌った曲だ。「ほんとはもう気づいているんだろう?時代のせいばかりじゃないことを、ほんとはもうわかっているんだろう?あんがい限界が高いことを」歌詞のなかにギラギラというキーワードが登場するので、ついでにゲンドウミサイルのギラつかせてろの一節も。「砕けた夢のかけら、そんなもんどうでもいい、今日はどこで何をやるか、それが問題だぜ」歌に続き、映画にも影響を受けた。ゴッドファーザーなどは生きる指針といっていい。「沈黙は自信だ。不安が話をさせる」「友達は近くに置いて、敵は懐に入れておけ」麻雀放浪紀のセリフのやり取りは日本映画史上ベストスリーに入る。「あたし、博打やめさせる」「できるかどうか賭けるか?」もっとも多くの生き方を学んだのは小説かもしれない。グレートギャツビー、愛と名誉のために、初秋、勝手に生きろ、等々。ブコウスキーにはとりわけ指導を受けた。「必要なのは希望だ。希望がないことくらい、やる気をそぐことはない」「空腹がおれの芸術を高めることはなかった、かえって邪魔になっただけだ、人間の魂の根本は胃にある」ブコウスキーを読んでいると、些細というか、瑣末というか、取るに足らない学識ばった悲観がいつのまにか消えている。「いい酒だ」「ああ、いい酒だ」「お日様が昇ってる」「ああ、ちゃんと昇ってる」「それじゃ」彼はいった。「おれは行くよ」「じゃあな」こんな感じ。こんな感じで再び歩き出せばいい。最後にニッキー&ウォーリアーズのSOSを。「人生なんてものは、そんなもの、気楽にやれよ、笑うのさ」ジョギングに行ってきます。
posted by せつな at 08:12Comment(0)日記