12月14日 朝

女子高生の間で流行っているという真偽の確かめようのない風聞を左巻き連中が拡散している。第一次安部内閣のころから流行らせようと躍起になり何度も何度も世に登場しては、結局、浸透しなかったあべするという中傷。実際に巷間で流行っているかどうかは関係ない。問題はいちいち乗っかって拡散する連中の下劣さで、この地球上で同じ空気を吸っているかと思うと、心底、うんざりする。かつて田中まきこ氏が安部首相の母校である成蹊大を揶揄し、全国の成蹊学園卒業者、在学生、保護者、ならびに関係者から顰蹙を買い、痛烈な批判と非難の矢面に立って沈黙したように、今回は人名を嘲笑するという卑しさに全国のあべさんの怒りが聴こえてくるようだ。ちょっと想像力を働かせれば同姓同名の生きにくさに想いが及ぶものだが、普段、差別だ、マイノリティだ、と叫んでいる連中にかぎって、そうした気遣いに至らないのが左巻きの左巻きたるゆえんなのだろう。その精神構造は一種の疾病であり、病巣は根深い。ただし、あべするで検索をかけるとアサヒる問題がトップにくるところは日本も捨てたものではない。アサヒるはすっかり定着したようだ。ちなみに10年前の本日12月14日。ネット流行語大賞2007においてアサヒるは年間大賞金賞に選ばれている。愛国主義を英語でペイトリオティズムという。日本では一般にナショナリズムのほうが耳なじみもよく愛国主義と国粋主義の定義にも優劣はない。愛国とは何か。真に国を愛することは自分を愛することに通ずる。なぜなら、国家は自分のルーツだからだ。自分のすべてはこの偉大なる国、日本からはじまった。日本をけなされると自分をけなされているようで哀しい。自分をけなされると日本をけなされているようで腹が立つ。これが愛国主義というものかもしれないが、まだ、自分自身、正確に意味をつかめていない。完全にわかっていることはたったひとつ。良いところは尊重し、悪いところは正していく。これが自国観のあるべき姿だということ。愛国はときに憂国となりうるが、憂国が国家をあきらめることはない。世に生を得るは事を為すにありの精神で生きる。残された人生、それでいい。
posted by せつな at 08:11Comment(0)日記