12月11日 午前中

家庭環境を選ぶことはできない。これはもう運としかいえない。だが、希望はある。ひとは成長すれば、独立できるからだ。出自がどうであれ、自らの生き方は選ぶことができる。とにかく生き延びること。これに尽きる。先般、高崎で起きた不幸な事件の公判があった。40年間、引きこもったという男性の告解は聞くに堪えがたい苦痛をおぼえるほどだ。この男の半生は自宅周辺と刑務所にしかない。一審では11年の懲役を言い渡されたが、もし求刑通り20年の歳月を塀の中で過ごすとなれば、社会復帰は還暦後になる。まさに家庭環境に翻弄された挙句、生き方を見失ってしまった極端な例といえる。事件の詳細は別に記載する必要もない。興味深く思うのは事件にいたるまでの被告人の精神構造だ。想像を絶する葛藤と心の奥底に秘めた衝動。繙くには高度の想像力を必要とする。「一人でいられる隅っこがほしい」そう書き残して男は自宅に火を放った。それでも死にきれず犯罪者として生き残る。「罪悪感はあった。ただ、安らいだ気持ちも同時にあった」男の述懐には後悔と懺悔よりも、むしろ安寧と安堵の読後感をより多く感じる。以前、犯罪心理学に関する米国の論文で凶悪犯罪者の約8割が幼少期に児童虐待に遭ったことがあるというデータをみた。このデータはかなり信憑性の高いものだったと記憶している。幼少期に親から充分な愛を受けることができなかった子供はデータ上、かなり高い確率で反社会性人格を構築してしまうという。冒頭の「とにかく生き延びること」は精神に向けた自己責任でもある。肉体的な意味より、却って精神的な部分に重きをおいた主張だ。精神的に生き延びること。家庭環境に屈しないこと。ビックコミックで連載しているフルーツ宅配便が今回、たまたまこういった内容で、上述の事件とシンクロしたというか、改めて家庭環境について深く考えさせられた。正直、覚せい剤を打つ父親に頭を踏みつけられる子供の絵は漫画とはいえ、ショックだった。泣くはシクシク、笑うはハハハハ。人生は4×9=36と8×8=64で足して100になる。泣くことはあっても笑うほうが多い。それが人生だ。
posted by せつな at 10:55Comment(0)日記