12月7日 午前中

毎年、この時期になると、哲子の部屋にて今年の訃報に接し、改めて著名人の往年の活躍に思いを馳せることになる。毎年のことだが、毎年、悲しい気持ちになる。昨日、海老一染之助染太郎の弟のほう、染之助氏がなくなられた。兄の染太郎氏がなくなったときから15年の月日が流れ、これでもう正月恒例のおめでとうございまあすの芸はついぞ見れなくなった。昭和の正月、子供のころの正月がまたひとつなくなってしまった。正月の楽しみといえば、普段、テレビではお目にかかれない寄席芸人の芸が茶の間で見れることで、小さいころはおせちをつまみながらコタツでそれに接することが正月の主な行事だった。初詣に出かけ、その足で新春ロードショーの寅さんを観るという他者の正月の過ごし方を知ったときは驚いたものだ。先日、M1グランプリにて繰り出された各コンビのすさまじい精緻なネタの完成度には目を見張るものがあった。年を追うごとに苛烈さを増す高射砲のような臨場感に観ているこちらにまで緊張感を強いられる。一時期の低迷から完全に息を吹き返した感もある。正月の、特に三日目あたりに登場する芸人たちにこうした臨場感はない。あるとすれば安心感。それも半永続的に続く安定のマンネリズムのオンパレードだ。「おめでとうございまあす」「いつもより多めに回しております」「弟は肉体労働、兄は頭脳労働、これでギャラは同じ」いつものフレーズ、見慣れた光景、こういったものは失ってはじめて気づく。いかりや長さんがいなくなったときも子供時代が終わった気がした。誰かがつくった長さんを偲ぶフラッシュに涙した。子供のころはよく遊んでもらったのに、いつのまにかおとなになり遊ばなくなった。くちの分厚いおじちゃん。一昔前では、それはクレイジーキャッツであり、ゲバゲバ90分であったのだろう。激動の昭和史が語られ、いつしか平成の世も終わろうとしている。失われたうんぬんで語られることの多かった平成だが、あとになってみれば、平成という穏やかでやさしい時代があった、と振り返る日がくるのかもしれない。近代化を遂げた日本でかつて正月を彩った風景も今では懐かしく思えるばかりだ。こうした感傷は今後も増えていくばかりだけれど、一瞬ぐらいは浸ろう。そして、また、前を向こう。先人がくれた愛を次世代に伝え残すのも今を生きる人間の使命だ。おめでとうございまあすよ永遠に。ありがとうございまあああす。
posted by せつな at 11:35Comment(0)日記